2006年07月31日

伊尹負鼎

●60.伊尹負鼎(いいんふてい)

【意味】大望を叶えるために、まず自らを卑下すること。「伊尹」は、殷(商)初に活躍した政治家で、湯王(とうおう)を助け、夏の桀王(けつおう)を滅ぼして殷の成立に大きく貢献した人物。湯王は敬意を表して阿衡と称した(ここから「阿衡の佐」という表現が生まれた)。「鼎」は、3本の足をもち、物を煮るのに用いる金属製または土製の容器のこと。後に王侯の祭器、礼器となった。

【出典】司馬遷『史記』の殷本紀にみられる。伊尹は鼎を背負い料理人として殷の湯王に接近し、やがては宰相となり、国政を動かすまでになったという故事から。

※参考
 宮城谷昌光さんが、『天空の舟 小説・伊尹伝』(上・下)でこの伊尹の生涯について記しています。伊尹はとにかく色々な伝説がある人で、出生の時にも伊尹の母が「水に臼が浮かんだら、東に駆けて、決して振り向いてはならない」というお告げに反したことで、大洪水に巻き込まれましたが、その時、母が空桑(中に空洞のある桑)の大木と化し、その幹から伊尹が生まれたという話があります。
 湯王の片腕となって活躍した伊尹ですが、『竹書紀年』という書には、「伊尹即位、放太甲七年、太甲潛出自桐、殺伊尹」とあり、「伊尹が即位し7年間在位したのち太甲に殺された」となっていてこの点も謎となっています。


 歴史上の人物を基にした表現というのは、多くありますが、そうした表現が残るのも人物そのものに魅力があって、長く語り継がれるような存在であるということが挙げられるでしょう。伊尹という人物が、今でも時々話題にのぼることがあるのは、その逸話もさることながら、やはり人物自体に魅力があるからだといえます。

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2006年07月30日

依依恋恋

●59.依依恋恋(いいれんれん)

【意味】恋い慕うあまり離れられないさま。「依依」は、思い慕って離れにくいさま。また、木の枝などがしなやかなさまを指す。「恋恋」は、思い焦がれていつまでもあきらめきれないさま。また、執着して未練がましいさまを指すこともある。この場合、どちらも前者の意味で用いられている。類似した語を重ねて用いることで、あきらめきれない思いを強調した表現。

※参考
 「帰園田居」(園田の居に帰る)という陶淵明(陶潜)の有名な漢詩がありますが、全5首あるうちの1首目に「依依墟里煙」(依依たり墟里の煙)という部分があります。「曖曖遠人村」(曖曖たり遠人の村)と対になって用いられていますが、ここでの「依依」は、懐かしさのあまり離れにくいという意味合いで、「依依恋恋」の「依依」と同じ意味で使われています。
 陶淵明は、もともと下級貴族の出で、官職の道についていたのですが、41歳より故郷の田園に帰りました。「帰去来の辞」というよく知られた詩はこのときに書いたものですが、この後も故郷での田園の生活を歌った詩を発表し、田園詩というジャンルで新たな境地を切り開きました。「帰園田居」もその一つで、故郷を思う気持ちが述べられています。


 誰かを(何かを)あきらめきれないほど深く思うということは、人としてとても根源的なことなのではないか、と思います。あまり意識してないけれど、ふと心惹かれてしまうということは、誰しも経験があることではないでしょうか。

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2006年07月29日

唯唯諾諾

●58.唯唯諾諾(いいだくだく)

【意味】事のよしあしに関わらず、人の言うことに従うさま。「唯唯」は、かしこまって承諾するときの返事のことば。「諾諾」は、他人の言葉に逆らわずそのまま承諾するさま。「唯」は、かしこまって急いで答える返事で、相手に敬意を払う意味合いがある。「諾」は、やや間をおいてゆっくりと考えて答える返事。

【出典】『韓非子』(八姦編)
「此人主未命而唯唯,未使而諾諾,先意承旨,観貌察色,以先主心者也。」(此れ人主、未だ命ぜずして唯唯、未だ使わずして諾諾、意に先んじ旨<むね>を承<う>け、貌<かお>を観、色を察し、以て主の心に先んずるなり)から。
 『韓非子』の八姦は、臣下が主君の権力を侵害する8つの計略について論じ、その対処策を述べた編です。八姦とは、「同牀」「在旁」「父兄」「養殃」「民萌」「流行」「流行」「威強」のことで、それぞれはごく簡潔に述べられています。以下のような意味です。

・同牀(どうしょう)・・・主君の色欲につけこんで、寵愛する者を通じて主君を動かす。

・在旁(ざいぼう)・・・主君が寵愛する近臣に取り入って、それらを買収して機嫌をとり、主君の心を自分に都合のいいように誘導する。

・父兄(ふけい)・・・主君と親しい親類や大臣(これも君主の縁者が多い)に頼み込む。

・養殃(ようおう)・・・家臣が民の力で宮殿を飾り、また賦税を重くして女性を美しく装わせることで主君の歓心を買い、さらなる欲望を引き出そうとする。

・民萌(みんぼう)・・・家臣自らが下に利益を与えて大衆を味方につけて、主君を孤立させる。

・流行(りゅうこう)・・・家臣が国中の論者たちを買収して自らに有利な議論を流布させ、君主の心を動揺させる。

・威強(いきょう)・・・民萌の逆。私党を募って下に威力を示し、助勢する者には利益を与えるが、助勢しない者には必ず死が待っていると示すことで、大衆を震え上がらせて実権をつかむ。

・四方(しほう)・・・家臣自らが国庫を使い大国にとりいって、その外圧によって主君を動かす。

 上記の故事は、2番目の「在旁」から出ていて、意味は「主君がまだ何も命令してないのに『はい、はい』と言い、まだ何もさせていないのに『はい、はい』と言って、意志表示より先にその旨を理解し、顔色を見て、主君の心を先どりする」というもので、このような人物は、挙措を同じくするものだから、これらが買収されると、主君の心に影響を与えるとしています。

※参考
 司馬遷の『史記』には、「千人之諾諾、不如一士之諤諤」(千人の諾諾は、一士の諤諤に如かず)という一節があります。「権勢に従順な千人の部下がいたとしても、自らの信念を持って直言する一人の部下には及ばない」という意味です。

 もともと「唯」と「諾」は、上記のように微妙に意味合いが異なっていたのですが、「はいはい」と相手の意見に従う点で同じで、「唯唯諾諾」という表現にみられるように、やがて両者が一体となって用いられることが多くなりました。


 八姦は、主君の人心を捉える策をうまくまとめたものだと思います。また、このような類型は封建社会だから意味を持ったというだけでなく、今でも広く通じるものといえそうです。

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2006年07月28日

以夷制夷

●57.以夷制夷(いいせいい)

【意味】外敵を利用して他の外敵を制すること。他人の力を利用して自分に利するようにはかること。「夷」は、東方の未開の異民族のこと。古代中国では自らを民族文化の中心とする中華思想から、周辺の異民族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)[これらを総称して「夷蛮戎狄(いばんじゅうてき)」という]と呼んで蔑視していた。東夷には、倭や朝鮮を、北狄には、匈奴や鮮卑などを含んでいた。総じて外敵を指す。

【出典】『後漢書』(とう訓伝/「とう」は登+おおざと)「議者咸以羌胡相攻,県官之利,以夷伐夷,不宜禁護」から。ここでは「以夷伐夷」(夷を以て夷を伐<う>つ)と表記されていた。

※「夷を以て夷を制す」と書き下して読むこともある。

※参考
 また、北宋の王安石の碑文には、「兵法所謂以夷攻夷」とあり、「以夷攻夷」(夷を以て夷を攻む)と表記されています。意味は「以夷制夷」とほとんど同じです。

 中華思想に関してはいくつか留意すべき点があります。「中華」とは、世界の中心にある最も華やいだ文明国の意味ですが、もともとは中原(黄河下流地域)以外の周辺国を文化水準の劣った国とみなし、中原(特に現在の河南省あたり)を「華」とした概念でした。また、中華の華はもともと古代の夏王朝の「夏」から「中夏」と表記されていました。
 中華思想は、かなり古くから20世紀の初頭まで中国社会のあらゆる側面を覆うものでしたが、これに類する概念は中国だけにとどまらず、歴史的には広く他の国々にもみられたものでした(もちろん中国が際立っていましたが)。また、中華と夷の区別は相対的なもので、中国の社会や文化に同化すれば、中華と認められたといわれています。


 「以夷制夷」は、政策、特に外交の面で使用されることが多いことばです。もともとは中国が周辺民族対策に用いた伝統的政策で、外敵同士を戦わせることで、自らは何もしなくとも外敵の圧力をそごうというものでした。現代では、「敵の敵は味方」ということばとあいまって非常によく知られたことばになりました。しかし、「敵」と「味方」とを厳然と区別することは外交の本来の姿にはあまりそぐわないものだとも思うのですが・・・。

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2006年07月27日

安楽浄土

●56.安楽浄土(あんらくじょうど)

【意味】心身に苦痛がなく、汚れや迷いもない楽しくのんびりとした国土のこと。「安楽」は、心身に苦痛がなく楽しくのんびりとしていること。「浄土」とは、汚れや迷いのない世界(国土)のこと。主に人間の住む世界を「穢土(えど)」というのに対比して用いられる。西方浄土往生の思想が盛んになるにつれて、仏教でいう阿弥陀仏の西方極楽浄土を指すようになった。

※類義語
極楽浄土

※参考
 「安楽」の語は、もとは『孟子』告子下・十五に「知生於憂患而死於安楽也」(憂患に生じて安楽に死するを知るなり)として出てきます。これは、憂患の中にあってこそ生き抜くことができて、安楽にふければ必ず死を招くといった意味で、どちらかというと「安楽」を否定的にとらえていっています。

 親鸞が著した『浄土和讃』には、「安楽浄土にいたるひと/五濁悪世にかへりては/釈迦牟尼仏のごとくにて/利益衆生はきわもなし」とあります。つまり安楽浄土にいたった人は、五濁悪世の世界に返ってきても、まるで釈迦如来のように、衆生を自在に救うことができるといった意味です。
 ここに、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」とありますが、これは、五つのけがれに満ちた悪い世界を指す仏教語です。五濁とは、「劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁」とされ、以下のような意味です。

1.劫濁(こうじょく)・・・天災・疾病・争乱などが起ること。

2.見濁(けんじょく)・・・誤った考えがはびこること。

3.煩悩濁(ぼんのうじょく)・・・人々が煩悩によりさまざまの罪を犯すこと。

4.衆生濁(しゅじょうじょく)・・・人々の心身の資質が堕落すること。

5.命濁(めいじょく)・・・人々の寿命が短くなること。


 安楽浄土というのは、仏教語としては、人間の世界を良くないものとしてとらえ、それを超越したものとしてとらえた表現なので、そもそも現代社会にはなじみにくい概念といえます。心配することなく生活するということは、たしかにうらやましいことですが、心配する中でまた新たな人間性を見出だしていくこともまた重要な側面だといえます。

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