2006年08月05日

意気軒昂

●65.意気軒昂(いきけんこう)

【意味】意気込みが盛んなさま。「軒昂」は、気持が奮い立つさまの意。「軒」も「昂」も高く上がる意味を表す。

※類義語
意気揚揚、意気衝天

※対義語
意気消沈、意気阻喪

※参考
 意気軒昂は、それを直接使った故事はありませんが、「軒昂」に関しては、『三国志』の呉書に「卓受任無功、應召稽留、而軒昂自高、三罪也。」とする記述があります。「董卓(とうたく)は任務を受けても戦功が無く、招きに応じるが留まり、それなのに気持ちを高ぶらせて自らおごっている、それが三つ目の罪だ」ということで、武将・張温が外から招いた董卓という人物に対し、孫堅が張温に不満をぶつける場面です。三つの罪を挙げていますが、一つ目は、主君になる張温を敬う気持ちがない、ということ、二つ目は、進軍することが望まれるのに、進軍することを妨害している、ということを主張しています。結局、張温は、その進言を受け入れなかったのですが・・・。


 意気軒昂は、とてもよく使われる表現です。権勢があり、血気盛んな人に対して用いられることが多いですが、意気込みの強さと失敗は、表裏一体ともいえるので、失敗しないように注意しつつ、積極的に行動していくということが望まれます。

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2006年08月04日

衣冠束帯

●64.衣冠束帯(いかんそくたい)

【意味】公家の正装をいう。「衣冠」は、昔、公卿が宮中へ出るとき着用した略式の礼装。これに対し、「束帯」は、天皇以下、中央・地方の役人が朝廷の政務や儀式のときに着た正装用の礼装のこと。最高の正装である「束帯」と、それに次ぐ正装である「衣冠」とを合わせた語。

※参考
 衣冠を「宿直(とのい)装束」と呼ぶのに対し束帯は「昼(ひの)装束」と呼ばれます。「束帯」は、もともと『論語』公治長篇の「束帯立於朝」(束帯して朝<ちょう>に立ち)「礼服を着て、朝廷に立って」によった名称です。

 束帯の構成は、上衣が、半臂(はんぴ)・下襲(したがさね)・袙(あこめ)・単(ひとえ)という肌着を着た上で袍(ほう/うえのきぬ)を着用、冠をつけます。下衣は、表袴(うえのはかま)・大口(おおぐち)をはきます。付属品に石帯(せきたい・革帯で、装飾のある有文<うもん>のものと、装飾のない無文<むもん>のものがあった)・魚帯(ぎょたい・石帯の腰右側に付ける飾り)・襪(しとうず、靴下のこと)・靴(かのくつ)・笏(しゃく)・桧扇(ひおうぎ)・帖紙(たとう)などがあり、武官や勅許を得た文官は別に平緒(ひらお)という装飾用の帯を用いて、太刀を帯剣しました。
 袍には、二種類があって、文官と四位以上の武官は「縫腋(ほうえき)の袍」に垂纓(すいえい)の冠を、それ以下の武官は「闕腋(けってき)の袍」を用い巻纓(けんえい)の冠を着用しました。

 「衣冠」は、束帯から石帯や半臂(はんぴ)・下襲(したがさね)・袙(あこめ)などを略したものです。袴も指貫(さしぬき)というゆったりとしたもので、垂纓の冠をかぶり、扇を持ちます。束帯とは違って衣冠には文官と武官の区別がありませんでした。


 日本の古き礼装です。身分社会だったので、服装ひとつをとってもきまりがありました。特に束帯はたくさんつけるものがあり、大変さも際立っています。次第に束帯は儀式用の服装で、衣冠は宮中での勤務服として定着していきました。
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2006年08月03日

遺憾千万

●63.遺憾千万(いかんせんばん)

【意味】この上なく残念で悔しいこと。「遺憾」は、憾(うら)みを遺(のこ)す意。思い通りにいかず心残りでくやしいこと。「千万」は、数や量が多いこと。特に名詞の下に付いて、その名詞の程度が甚だしいことを指す。「無礼千万」「苦労千万」などもこの例にあたる。

※類義語
残念至極

※参考
 「遺憾」は、本来は残念だと言うほどの意味で、謝罪までの意味を含みません。その点からすれば、「・・・は遺憾だ」と謝罪した、と表現するのは誤りということになります。遺憾だけでなく、申し訳ないなど、謝罪を意味することばが入ってはじめて謝罪を意味することになります。
 この「遺憾」にいう「憾」ですが、これは存外軽い意味合いを表します。字形は「心+咸」で残念な感じが強いショックとして心に残ることを指します。古くは、『論語』(巻三・公冶長第五)に「子路曰、願車馬衣輕裘、與朋友共、敝之而無憾。」(子路曰わく、願わくば車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝<やぶ>るとも憾み無けん。)として「憾み無し」という形で出てきますが、これは、車や馬、着物や毛皮を友達とともに使って、これが傷んでもくよくよしたりはしない、といった意味です。
 これに対し、「恨」は、心中にいつまでも傷あとを残すような残念さを指し、「憾」より残念だという意味合いが強いものです。字形は、「心+艮(こん)」で、「艮」自体は「目+匕(ナイフ)」からなり、ナイフを突き刺して、目のふちに入れ墨をし、いつまでも痕を残すことを指します。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』には、「昨日は一刻のひまを偸(ぬす)み、東風子にトチメンボーの御馳走を致さんと存じ候処、生憎(あいにく)材料払底の為め其意を果さず、遺憾千万に存候。……」(手紙の一節)として「遺憾千万」が出てきます。
 また、冒頭に近い場面では、「十四時間の出来事を洩れなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企(くわだ)て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄するにも関らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。」と、我輩=猫の視点から主人に対するぼやきが述べられています。読者に主人の行動を読者に知らせる能力と根気がないのは「遺憾」だとしています。


 これらからいえば、「遺憾」ということばは、やはりそれほど重くないことばといえそうですが、最近の「遺憾」の語の氾濫によって、このことばが「重くない」から「軽い」ものになってしまったように感じます・・・。

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2006年08月02日

衣冠盛事

●62.衣冠盛事(いかんせいじ)

【意味】名家に生まれ、その家の名声や権勢を引き継ぐ者のこと。「衣冠」は、@服と冠のこと。転じてA衣服と冠をつけた身分の高い官吏のこと。また、Bそれらを着用できる立派な家柄も指す。「盛事」は、盛大な事業や催しのこと。

【出典】北宋・欧陽脩『居士集』(巻七十九)「唐将相之後、能以勲名継其家者、亦秉筆者記之号称衣冠盛事。」から。「秉」は、手に持つ意。

※参考
 「衣冠」について、@の意味では、『論語』(尭曰第二十・二章)に「君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然、人望而畏之、斯不亦威而不猛乎」(君子は其の衣冠を正しくし、その瞻視を尊くし、儼然たり、人望みて之を畏る、斯れ亦た威にして猛からざるにあらずや)とあります。「上に立つ者が、衣服や冠を整えて、目つきを厳かにしていると、人々はこれをながめて恐れ入る、これこそが、威厳があっても烈しくないということではないか」と孔子が子張に語っている部分です。
 また、Aの意味では、杜甫の詩「秋興八首」(其四)に「文武衣冠異昔時」(文武の衣冠昔時に異なる)として用いられています。
 Bの意味では『後漢書』(巻四十六)で、「家世衣冠」という記述がみえ、代々役人をつとめる家柄という意味合いで用いられています。


 歴史上でも、偉大な人物の二世に当たる人でめざましい活躍をした人はまれであるように、一般的にも名声を引き継ぐということはやはりとても難しいことだといえます。「衣冠盛事」にあたる人というのは、その分賞賛されてしかるべき存在だということでしょう。

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2006年08月01日

易往易行

●61.易往易行(いおういぎょう)

【意味】容易な行法によって、極楽往生することができること。「易往」は、容易に往生することができること。「易行」は、容易な行法のこと。ここでは、阿弥陀仏にすがって、念仏をとなえることで、特に浄土教の「他力本願」の思想を指す。これに対するのが、「難行」で自力で悟りを得ようとすること。

※類義語
易往易修、易行易修

※対義語
難行苦行

※参考
 仏道の修行には難行と苦行がある、とするのは、既に竜樹の『十住毘婆沙』(易行品<いぎょうぼん>・九)にみられます。そこでは、「世間の道に難あり易あり。陸道の歩行は苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。」と、難行を陸路、苦行を船旅にたとえています。 
 少し時代が下って北魏の僧・曇鸞は、『往生論註』でこの『十住毘婆沙』を引用し、「謹んで案ずるに、龍樹菩薩の『十住毘婆沙』に云く、菩薩阿毘跋致を求めるに、二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。難行道とは、謂く五濁の世、無仏の時において、阿毘跋致を求めるを難とす。・・・易行道とは、謂くただ信仏の因縁を以て、浄土に生ぜんと願ずれば、仏の願力に乗じて、すなわち彼の清浄の土に往生することを得。仏力住持して、すなわち大乗正定の聚に入らしむ。正定はすなわちこれ阿毘跋致なり。譬えば水路の乗船はすなわち楽しきがごとし」としています。
 ここで、阿毘跋致とは、サンスクリット語のアビバッチを漢字に当てたもので、不退転を意味します。また、五濁は、五濁悪世(ごじょくあくせ)ということばとしても用いられます。この五濁については、「安楽浄土」の項で、書きましたので参照していただければ、と思います。
 このような仏道の修行では、むしろ易行が重要だ、とする他力本願の思想は、だいぶ後になりますが、親鸞の思想に影響を与えます。
 

 易往易行とは、特に浄土教でいわれる思想ですが、このように仏教語を基にしたものが多いのも、四字熟語の特徴です。

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