2006年07月06日

阿諛傾奪

●30.阿諛傾奪(あゆけいだつ)

【意味】権勢のある者におもねって気に入るようにふるまい、その職や地位を奪って自分のものにすること。「阿諛」は相手の気に入るようにおもねりへつらうこと。

※類義語
阿諛追従

 阿諛追従と似ていますが、阿諛傾奪は「職や地位を奪う」というニュアンスがより強い表現です。用例は少なく、ほとんど使われていない表現だと思います。
 「傾奪」という表現については、「武徳の末、隠太子の洗馬と為る。太宗と隠太子と陰に相傾奪するを見、毎に建成を勧めて早く之が計を為さしむ。」として貞観政要の第三章「魏徴」という人物の描写に出てきます。
 太宗とは唐の二代皇帝で初代高祖の次男李世民のこと。また隠太子とは高祖の長男李建成のことです。魏徴は当初隠太子の側に立ち太宗の暗殺を献策しましたが、逆に玄武門の変で隠太子が殺された後は、太宗の詰問にも「もし隠太子が私の意見を受け入れていたなら,今日のような禍にはあわなかった」と平然と答えたといいます。この言動に敬意を払われ、その後は、生涯太宗に仕え、常に太宗を諌める役目を担ったと伝えられています。

 最近は面と向かって諌める人が少なくなりました。少し昔の小説とかでは必ずこのような役割の人が一人は配置されたりしていますが…。厳しい師に出会ったとき、そのときは何も感じなくても後々になってありがたみが沸いてきたりします。妥協を許さぬような峻厳な人ほど記憶に残るというのは考えてみれば不思議なことですが、その分貴重だということかもしれません。
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2006年07月05日

阿爺下頷

●29.阿爺下頷(あやあがん)

【意味】愚かな間違い。また物事の見分けもつかないぼんやり者のこと。「阿爺」は、お父さん。父を親しんでいうことば。「阿」は、人を呼ぶときに親しみの気持ちを表してつける接頭辞。阿兄(あけい)といえば「兄さん」を指し、阿母(あぼ)といえばお母さんを意味する。「下頷」は下のあごのこと。

【出典】『碧巌録』(へきがんろく)「莫認驢鞍橋作阿爺下頷」(驢鞍橋を認めて阿爺の下頷と作(な)すこと莫かれ)という禅語から。
 この禅語は、ある愚かな男が戦死した父親の骨を探しに行き、戦場に落ちていたロバの鞍の切れはしを父親の下あごの骨と思い込んで大切に持ち帰った、という故事から来ている。
 この「作阿爺下頷」という表現は、他でもたびたび戒めとして用いられ、『從容録』(主に曹洞宗で重んじられる『碧巌録』と並ぶ禅語集)の第三十八則「臨濟眞人」でも「驢鞍橋は又阿爺の下頷に非ず」として用いられている。
 なお、この故事に用いられている「驢鞍橋」は鈴木正三(しょうさん)の言行を弟子の恵中が編集し、江戸時代に刊行された書物の題名になっている。

※下頷は「かがん」ともいう。

 この熟語は読みも意味も難しく、あまり日常では使われない表現です。構成は「阿爺」の「下頷」ですが、故事に基づくため、漢字を見ただけでは意味は分からないですね。
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蛙鳴蝉噪

●28.蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)

【意味】やかましくしゃべること。内容のない下手な文章や益のない議論をあざけっていうことば。蛙や、蝉が鳴きさわぐように騒がしいだけでつまらないということから。「噪」はさわがしいさまを表す。右側のつくりは、「木の上に口三つ」の会意文字で、木の上で鳥ががやがやと騒ぐさまを表現したもので、音は「ソウ」。音的にも意味的にも「騒」に近い。

【出典】北宋の詩人・蘇軾の「出都来陳所乗船上有題小詩」の「蛙鳴青草泊,蝉噪垂楊浦。」(蛙は鳴く青草の泊<とまり>、蝉は噪<さわ>ぐ垂楊<すいよう>の浦)から。垂楊は、しだれ柳のこと。

 また、清の儲欣(ちょきん)「平淮西碑評」にもみえる。「段文昌以駢四儷六蛙鳴蝉噪之音、易鈞天之奏」(段文昌駢四儷六<べんしれいろく>蛙鳴蝉噪の音を以て鈞天<きんてん>の奏に易う<かう>)「段文昌は4字・6字を軸とした文体に蛙や蝉の鳴きわめくような騒々しい対句を用いることで、天上で演奏されるような美しい音楽を変えてしまった」とある。
 「段文昌」は、唐の第十二代皇帝穆宗(ぼくそう)の時の宰相。子の段成式(だんせいしき)は、『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という怪異記事を集録した書物を著したことで知られる。「鈞天」とは、九天の一つで、天の中央。天帝のいる所も指す。そこから天上で奏せられるというこの上なく美しい音楽を表す。ちなみに「九天」とは、鈞天、蒼天、変天、玄天、幽天、昊(こう)天、朱天、炎天、陽天のこと。

 この「蛙鳴蝉噪」という熟語。一見難しいのですが、「あめいせんそう」と入力するとすぐに変換されるところからすると、そこそこ有名な熟語だということですね。実際にこの名前を冠したサイトは多いようです。それにしてもカエルもセミの鳴き声は中国でも騒々しい象徴だったのでしょうか…。
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阿附迎合

●27.阿附迎合(あふげいごう)

【意味】相手に気に入られるように、へつらい従うこと。構成は「阿附」+「迎合」。「阿附」は人にへつらい従うこと。「迎合」は相手の調子にあわせて、気に入るように努めること。

※類義語
阿諛追従、阿諛追随、世辞追従

※阿附は「阿付」とも書く。

※参考
 「迎合」には、「あど」という読み方がある。意味は、人の話に調子を合わせて受け答えすることで、「迎合(あど)を打つ」とは、あいづちを打つことを表す。あいづちを打ちながら語り合うことは、「迎合談(あどがたり)」という。また、狂言で主役であるシテ(仕手)を助ける脇役を「アド」というが、この「アド」にあたる漢字も「迎合」である。なお狂言のアドの役割は、能楽では「ワキ」といい、ここから「脇役」ということばが生まれたとされる。

 同じ意味では、阿附迎合より阿諛追従のほうが漢字は難しいけど、有名でしょうか。いずれも相手の機嫌をとる意味合いを含んでいます。
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2006年07月04日

阿鼻叫喚

●26.阿鼻叫喚(あびきょうかん)

【意味】阿鼻地獄に堕ちたものが苦しみ泣き叫ぶさま。転じて非常にむごたらしいさまを表す。「阿鼻」は、「阿鼻地獄」、叫喚は「叫喚地獄」を指し、いずれも仏教の八大地獄の一つである。

【出典】『法華経』(法師功徳品<ほうしくどくほん>)

※参考
八大地獄(仏教)
 源信(恵心僧都)が著した『往生要集』大文第一「厭離穢土」に記された。以降の地獄図の大半は『往生要集』に基づくという。以下の8つの地獄を指し、あげた順に下層に位置していく。

・等活(とうかつ)地獄…殺生を犯した者。殺されても前と等しく何度も活き返され、苦しみを受け続けるのでこの名がある。

・黒縄(こくじょう)地獄…殺生・盗みを犯した者。熱鉄の縄で縛られ、熱鉄の斧で切り裂かれる。

・衆合(しゅうごう)地獄…殺生・盗み・邪淫を犯した者。向かい合う鉄山が両方から崩れて圧殺されたり、鉄臼の中に入れられて、鉄の杵でつき潰される。

・叫喚地獄…殺生・盗み・邪淫・飲酒(おんじゅ)を犯した者。熱湯や猛火の鉄室に入れられる。

・大叫喚地獄…殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語の五戒を犯した者。苦痛は叫喚地獄の10倍という。

・焦熱(しょうねつ)地獄…殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見を犯した者。大叫喚地獄の10倍の苦しみ。猛火で串焼きにされる。

・大焦熱地獄…殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・尼僧への強姦を犯した者。

・阿鼻地獄…殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・尼僧への強姦・大乗への誹謗を犯した者。前の七大地獄で受けるすべての苦しみを合わせて一として、阿鼻地獄の苦しみはこれらの千倍という。阿鼻はサンスクリット語の「avici」の音写語で、無間と訳される。無間とは苦しみが間断無いことを指すため、無間(むけん)地獄ともいう。

 上記は狭義には「八熱地獄」といわれ、それぞれが四方に1つの門をもち、その1つの門ごとに新たに4種の副地獄があるため、合計で128の副地獄がある。

 これらと対になるのが「八寒地獄」で、死者を寒さ・氷で苦しめる8種の地獄。「安頁」部陀(あぶだ)・尼剌部陀(にらぶだ)・「安頁」「口析」陀(あせちだ)・「月霍」「月霍」婆(かかば)・虎虎婆(ここば)・「温(口偏)」鉢羅(うはら)・鉢特摩(はどま)・摩訶鉢特摩(まかはどま)を指す(「」で一字)。第3から5の地獄は罪人が泣き叫ぶ擬声語。第6から8の地獄は意訳でそれぞれ「青蓮地獄」「紅蓮地獄」、「大紅蓮地獄」を指し、いずれも極寒のため体が裂けるさまを表す。八寒地獄も八熱地獄と同じくそれぞれに16の副地獄を持つ。

 この他に、孤地獄という他との交流が一切無い個室の地獄がある。これは辺地獄、独地獄とも呼ばれる。


 以上をみていくと、「阿鼻叫喚」とは、言葉では形容できないほど悲惨な状況を表します。まさしく「阿鼻叫喚」と化した状況には出会いたくないものですね。













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2006年04月23日

悪口雑言

●25.悪口雑言(あっこうぞうごん)

【意味】さまざまに口から出まかせの悪口を言うこと。さんざんにののしること。また、そのことば。

※類義語
罵詈雑言(ばりぞうごん)、悪口罵詈、罵詈讒謗(ざんぼう)、讒謗罵詈

※参考
「雑言」は、ここでは「さまざまな悪口」の意味で、「ぞうごん」と読む。これは、日本語独特の読み方・意味とされる。本来この単語は、「とりとめのないさま、さまざまな話、四方山(よもやま)話」という意味を持つ。また、雑言古詩(ざつげんこし)という詩の形態があるように、雑言(ざつげん)は、一句の字数の定まっていない詩を指すこともある。

 悪口雑言は、基本的に出まかせに出たことばだから、半ばでたらめなことを言うという意味合いがあるようです。悪口とはそういうものだ、とはいえそうですが、風刺などには時に真実味があるものがあったりして、なかなかばかにできないものです。
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2006年03月17日

遏悪揚善

●24.遏悪揚善(あつあくようぜん)

【意味】悪行を防いで、善行を勧めること。ここで「遏」は、とどめる、さえぎる、の意味。遏止(あつし)という熟語も用例の一つである。ちなみに「遏」という字には、出し尽くすという意味合いもあり、「衆力を遏す」(書経)などに見える。また、「揚」はここでは勧める、盛んにするという意味。

【出典】『易経』(大有<たいゆう>)

※類義語
勧善懲悪

※参考
「悪を遏め(やめ)、善を揚ぐ(あぐ)」と、書き下して読むこともある。

 難しい熟語ですが、漢字の意味合いから考えると、勧善懲悪というよく知られた表現に近いことが分かります。
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2006年03月08日

可惜身命

●23.可惜身命(あたらしんみょう)

【意味】体や命を大切にすること。「可惜」は、形容詞「あたら(可惜)し」の語幹から来た表現で、惜しくも、もったいないことに、という意味を表し、「身命」は、体と命を指す。すなわち、この熟語全体では、体や命を惜しむとなる。可惜しは、このままにしておくのは惜しい、または、このままにしておくのは惜しいほど立派だ、という意味だが、平安時代以降は、しばしば新し(あらたし)と混同して使われた。

※対義語
不惜身命(ふしゃくしんみょう)
 こちらは、体や命を惜しまないことになります。まだ、記憶に残っている人も多いと思いますが、貴乃花が横綱昇進のときの口上にこのことばを引用し、「横綱の名を汚さぬよう、不撓不屈の精神で相撲道に不惜身命を貫きます」と述べたことで知られます。

 体が資本とは、よくいったものですが、何をするにも体が健康でなければなしえません。しかし、時には体にムチを打ってもしなければならないときがあります。難しいことですが、自分の体の状態を把握して、ほどほどに行動することが必要なのでしょう。私も時に夜更かしをすることが多いですが、体(命)を大切に、当たり前のことですが、深く噛みしめないといけませんね。
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2006年02月08日

鴉巣生鳳

●22.鴉巣生鳳(あそうせいほう)

【意味】平凡な両親から優れた子が生まれることのたとえ。貧しい家から優れた人物が出るたとえとしても使われる。鴉はカラスなので、字義的にいえば、カラスの巣に鳳(おおとり)が生まれるという意味である。鳳は聖人が世に出たときにめでたい印として現れるとされる想像上の鳥である。カラスは一般的に印象が悪い鳥として用いられるため、ここでは鴉と鳳という対比が表現に含まれている。

【出典】大川普済(だいせんふさい)『五灯会元』(十二)

※「鴉巣(あそう)に鳳を生ず」と書き下して読むこともある。

※類義語
鳶が鷹を生む

※参考
五灯会元
 中国南宋代に成立した禅宗の灯史で、1252年、大川普済(1179〜1253)の撰によって完成した。全20巻。これは「五灯録」(慧明首座の編)と総称される、『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』(1004<景徳1>年、道原編、全30巻)、『天聖広灯録(てんしょうこうとうろく)』(1036年、李遵勗編、全30巻)、『建中靖国続灯録(けんちゅうけいこくぞくとうろく)』(1101年、惟白編、全30巻)、『宗門聨灯会要(しゅうもんれんとうえよう)』(1183年、悟明編、全30巻)、『嘉泰普灯録(かたいふとうろく)』(1204<嘉泰4>年、正受編、全30巻)という5種の皇帝の勅許により入蔵された灯史を総合する意味で編纂されたものである。

灯史(燈史)
 一般的に仏教界における歴史書、とりわけ禅宗史書を指す用語。字義通りに師から弟子、そのまた弟子へと、灯(仏法)を伝えるという、仏法の伝承の歴史を記した歴史書のことも指す。

 鳶が鷹を生むというのは、有名ですが、この表現もそれとほぼ同じ意味を指しています。もともとは、中国の禅書から来ているので、たとえに使われている生物が違ってはいますが…。これも一つの文化の違いかもしれません。
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2006年02月07日

鴉雀無声

●21.鴉雀無声(あじゃくむせい)

【意味】ひっそりとして声のないこと。しんと静まりかえっているさま。「鴉」はカラスのことで、「雀」はスズメのことである。そのため、カラスやスズメの鳴き声がない、というのが直接の意味である。

【出典】蘇軾の「絶句・詩」
「烏鵲(うじゃく)声無く夜闌(たけなわ)に向かう」とある。烏鵲はカラスとカササギを指すが、それ一語でカササギの別称でもある。鵲(カササギ)はスズメ目カラス科の鳥であるので、上記と意味的には同じことを指している。なお、カササギは現在佐賀県の県鳥となっている。

※「鴉雀声無し」と書き下して読む場合もある。

※参考
烏鵲橋(うじゃくきょう、かささぎばし)
 カササギが羽をつらねて作る橋。陰暦7月7日の夜、牽牛星と織女星とを会わせるためにカササギが天の河に渡すという想像上の橋。鵲橋と同じ。また、ここから(宮中を天上に見立てて) 宮中の御階(みはし)を指すようにもなった。この語の用例として最も有名な和歌の一つに、「鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける」(中納言<大友>家持、新古今和歌集冬)があり、小倉百人一首にも採られている。ちなみに、この和歌は、大阪森之宮にある「鵲森宮(かささぎもりのみや)」という神社(森之宮の地名もこの神社の名称に由来する)の拝殿の脇に建っている家持の歌碑に刻み込まれている。

 熟語には生き物を取り入れた表現が多くありますが、この表現の出典となっている鵲が日本古来から親しまれた鳥である分、表現に奥深さが加わっているように思います。それにしても鵲の橋なんて現在からするととてもロマンティックですね。
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2006年01月30日

浅瀬仇波

●20.浅瀬仇波(あさせあだなみ)

【意味】深い淵より浅い瀬のほうが激しく波立つという意味から転じて、思慮の浅い人は、さして取るに足りないような小さなことにも大騒ぎをするというたとえ。「浅瀬に仇波」ともいう。

【出典】古今和歌集 恋四722、素性法師(そせいほうし)
「そこひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて」(果てしない深さの淵は騒ぐことがあるだろうか、山川の浅い瀬にこそ、ざわざわと波が立つのである、の意)から。

※参考
素性法師
遍昭の子。清和天皇の時に殿上人となったが、若くして出家し、大和国石上の良因院に住んだ。古今集には36首入集し、歌数は第4位。三十六歌仙の一人でもある。

 この熟語では、波立つという意味をネガティブに捉えています。人間、何があってもまずは心を落ち着けて、再度見直してみるという姿勢が重要だということでしょう。
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2006年01月25日

悪木盗泉

●19.悪木盗泉(あくぼくとうせん)

【意味】どんなに困っていても不正なことをしないことのたとえ。「悪木」とは、質の悪い木のことで、「盗泉」とは、中国山東省泗水(しすい)県に実際にある泉。孔子がその名が悪いので水を飲まなかったということから転じて不義の意に用いる。

【出典】陸機「猛虎行」
「渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰」(渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれども悪木の陰に息<いこ>わず)のどが渇いても盗泉という名のついた川の水は飲まず、暑くとも悪い木のかげには休まないという意から。

※類義語
 李下瓜田(りかかでん)

※参考
陸機(261〜303)
 中国、西晋の詩人。字は士衡で呉(江蘇省蘇州市)の名族の出身。呉の滅亡後、弟の陸雲と共に洛陽へ出、やがて才を認められた。修辞に意を用いた華麗な詩風で、六朝修辞主義の路を開いたとされる。文学論を述べた『文賦』は有名。著書に『陸士衡集』十巻がある。陸雲とともに二陸と並び称された。

 実際に窮地に陥ったときに正を貫き通せるかというのは、案外容易いものではありません。そのため、不正というものはいつの時代にも起こってしまうのでしょう。現在粉飾決算が問題になっていますが、表に見える姿と裏に現れる倫理との相克について深く考えさせられました。
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悪人正機

●18.悪人正機(あくにんしょうき)

【意味】阿弥陀仏の本願は悪人を救うことが目的であり、悪人こそ往生するにふさわしい機根であるという説。「正機」とは、救いを受ける条件を正しく持っていること。

【出典】『歎異抄』(第三章)
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(善行を積み、自力で極楽往生を目指そうとする善人よりも罪深く愚かな悪人のほうが阿弥陀仏の力で真っ先に救われるという意味。)

※参考
 「悪人正機説」とは、善人は自力で善行を積み、極楽往生を目指そうと考えるため、ひたすらに他力にたのむ心が欠けているが、悪人は仏の慈悲にすがる気持が強いので、救われるという意味である。

 悪人こそが救われるという逆説的な表現ですが、文字通りの悪人を対象としていうるのではなく、あくまでも自分が悪人だと認め、反省している人を指しています。
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2006年01月20日

悪戦苦闘

●17.悪戦苦闘(あくせんくとう)

【意味】強敵に対して必死にたたかうこと。そこから転じて、困難にうちかつために懸命に努力することという意味が生じた。

※類義語
千辛万苦(せんしんばんく)

 現在では、後者の意味で使われることが多いです。悪戦苦闘というのは、精神的に苦しいもので、進んでそうしたいものではないですが、人間なにかをするときは必ず努力する必要があります。その意味では、「悪戦苦闘」ということばは生きるうえで積極的に捉えなければならないと思います。
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悪事千里

●16.悪事千里(あくじせんり)

【意味】悪いことは評判になりやすいというたとえ。悪い行為はすぐに世に知れ渡るということ。これは、下記の出典より、「好事門を出でず悪事千里を行く」ともいう。これは、「良いことの評判は長く続かないが、悪いことの評判はすぐに広まる」ということである。簡単に「悪事千里を行く」、「悪事千里を走る」としても使われる。

【出典】北夢瑣言(ほくむさげん)
「好事不出門、悪事行千里」

※参考
 英語で似たような表現に、Ten good turns lie dead and one ill deed report abroad does spread.(十の善行は忘れられ、一の悪行は世に知れ渡る)がある。

北夢瑣言
 北宋の孫光憲が著した唐末〜後晋の著名人の逸話集。内容に統一性はないが、当時の士大夫階級の実際が示されている。孫光憲(〜968)は滅唐後は荊南の高季興に従い、のち北宋の太祖に仕えた。

 「悪事千里を走る」として使われることが多いですが、原典は「悪事千里を行く」となっています。熟語の中でも非常によく知られた表現です。
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2006年01月19日

悪逆無道

●15.悪逆無道(あくぎゃくむどう)

【意味】人としての道に外れた悪い行いのこと。「悪逆」は道にさからったひどい悪事で、「無道」は道理にそむくことであり、ともに同じような意味を表すが、構成としては、「悪逆」を強めた語と解釈される。

※「無道」は、「ぶどう」「ぶとう」と読むこともある。

※類義語
悪逆非道、極悪非道、大逆無道

※参考
「悪逆」は古代では、君父などを殺そうと謀る罪を指し、八虐の一つを構成した。
「無道」は、細かく分けると、「天下に道徳が行われていないこと」という意味もある。『論語』に、「天下無道、則礼楽征伐自諸侯出」(天下道無ければ、則ち礼楽征伐諸侯より出づ)という例がある。また、上記にあげた意味での「無道」も『論語』に「如殺無道、以就有道、何如」(如し無道を殺して、以つて有道をなさば、何如)として使われている。
「悪逆非道」としては、『平家物語』に「入道相国の体を見るに悪逆非道にして」という表現がみられる。

 「悪逆無道」という語をよく見ると、とてつもなく悪い意味合いを表していることに気づきます。「道」を使った表現も多いですが、人としての「道」は案外簡単に定義できそうで、実は難しい。人類共通の尺度というものを設定するのは困難ということでしょう。千差万別だということこそ生きている証なのですから。
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2006年01月18日

悪因悪果

●14.悪因悪果(あくいんあっか)

【意味】悪いことをすれば、必ず悪い報いがあるということ。「因果応報」の考え方のうち悪い原因と結果が結びついたもの。「因果」とは「前に行った善悪の行為が、それに相当する果報を招く」ということであり、仏教の中心的な概念である。

※対義語
善因善果

※参考
 仏教には輪廻という思想があるが、因果の鎖を断ち切り、いかに悪因悪果を善因善果に変えるかが、古来より重要だった。ちなみに司馬遼太郎の『国盗り物語』の中に「悪因悪果をひるがえして善因善果にする者こそ、真に勇気、知力ある英雄」という一節がある。

 「悪行はいつかその反動が来る」というようなことは、よくいいますが、現代になっても少しも錆びれていません。道徳的な格言ともいえることばです。
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悪衣悪食

●13.悪衣悪食(あくいあくしょく)

【意味】質素で粗末な衣服や食物のこと。「あくいあくじき」とも読む。「悪食」には、「普通には食用としないようなものを食べること」の意味もある。

【出典】孔子『論語』(里仁<りじん>)
「士志於道、而恥悪衣悪食者、未足與議也」(士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与<とも>に議<はか>るに足らず)から。「自らの衣服や食物にこだわる者は、一緒に仕事をするのには及ばない」という意味。あることに熱中していれば、自分の外観にこだわる余裕はないはずであり、体裁を取り繕うとする人は、実際にはまだそのことに真剣に取り組んでいるとはいえない、という意味合いが言外に含まれている。

※類義語
粗衣粗食、節衣節食(せついせつしょく)、粗衣糲食(そいれいしょく)

 これと対照的なことばに、「暖衣飽食」があります。「暖かい衣服を着て、ぜいたくな食事をすること。満ち足りて何不自由なく生活すること」という意味ですが、どちらかというと悪衣悪食よりこちらのことばのほうが批判的に使われることが多いようです。士道の概念で知られる山鹿素行も「悪衣悪食を払じ、居の安きを求むるは志士にあらず」(『武教小学』)と述べ、暖衣飽食を戒めています。現代日本はむしろ飽食が問題になっていますが、「食」のあり方に関しても今一度見直さなければならないのかもしれません。

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2006年01月17日

青息吐息

●12.青息吐息(あおいきといき)

【意味】非常に苦しんでいるときに発するため息。また、そのため息の出るような状態も指す。「青息」は苦痛に耐えられないときの息で、「吐息」はため息の意味。

※参考
 浄瑠璃の菅原伝授手習鑑に「物をもえ言はず青息吐息、五色の息を一時に」との一節がある。ちなみに菅原伝授手習鑑とは、並木宗輔らが合作した時代物で、1746(延享3)年に初演された。菅原道真の筑紫への配流、旧臣武部源蔵と白太夫の三つ子の兄弟梅王・松王・桜丸夫妻が道真の世継である菅秀才を擁護する苦衷を脚色したものとなっている。また、この三つ子の由来は、道真が詠んだといわれる「梅は飛び桜は散るる世の中に何とて松のつれなかるらん」の和歌からとったものである。道真は政治家としてだけでなく、歌人としても漢詩の創作にも優れていた。

 とても有名な四字熟語で、現代でも普通に使われる表現といえます。「青息」など、「息」という実体のないものに色をつけて気分を表すのが面白いと思います。
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愛楊葉児

●11.愛楊葉児(あいようように)

 物事の真理をより深く探求しようとしないこと。「楊」はやなぎ(かわやなぎ、ねこやなぎなど)の意で、「楊葉」はその葉を表す。熟語の構成としては、「愛」+「楊葉」+「児」であり、楊葉を愛する幼児の意である。幼児が落ち葉の季節に黄色く色づいたやなぎの葉を見て、黄金と思い込んで大切にするということから。

※もともとは仏教に関連した表現で、浅い教えで満足してしまうのを戒めるときに使われる。

 楊の類義語に柳がありますが、楊はやなぎでも、枝が垂れず、上にあがるのに対し、柳は、枝が垂れて風に流れるという違いがあります。やなぎと黄金を掛けたのも注目されますが、やなぎを表すのに、単に「柳」ではなく、「楊」という字をあてたのもまた興味深いです。
posted by landmark at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 四字熟語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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