2006年07月13日

晏子高節

●42.晏子高節(あんしのこうせつ)

【意味】晏嬰が臣下として君主への忠節をまっとうしたさまを指す。「晏子」とは、広義では、晏嬰とその父親晏弱(あんじゃく)を指すが、ここでは晏嬰のこと。

【出典】『晏子春秋』(雑・上)以下の故事より。
 斉の国でのこと。荘公の6年(前548年)の5月、崔杼(さいちょ)は、自ら帝位に就けた荘公が自分の妻と姦通していることに憤慨し、荘公を殺してしまいました。
 その後、崔杼は、荘公の異母弟の杵臼(しょきゅう)を立てて、景公としました。崔杼が右相になり慶封が左相になり専制政治を行い、「崔氏・慶氏にさからったものは皆死罪である」という布告まで出されたのです。これに斉で名声が高かった晏嬰も従わせようとしましたが、晏嬰は断固としてこれに従いませんでした。ただ君主に忠義を尽くし社稷(国家)に利するものにのみ従うと言って聞かなかったといいます。

 結局この崔杼は、翌年、家内でのもめごとを慶封に利用されて自殺し、またこの後宰相となった慶封も、その子・慶舎や田氏等に攻められ呉に亡命し、その後は晏嬰が景公を立てて宰相となり、斉の繁栄に貢献しました。

※類義語
晏嬰脱粟(あんえいだつぞく)
 長雨が17日続き、国民は飢餓で疲弊しているにもかかわらず、それを省みず、酒を飲み続けた景公に対し、晏嬰は、これを諌め、民に蔵米を分け与えることを請うたが、許されなかったため、ついに職を辞退し、自らの家の蔵米を人民に分配し尽しました。
 景公は、自らの非を認め、斉の粟米財貨を奉じてこれを人民に分かつことを約したという故事から。


 晏嬰は、名宰相として誉れ高く、『史記』を著した司馬遷までもが、「もし晏嬰が今生きているのであれば、自分は彼のために御者をつとめたい」と絶賛しています。
 また、沢山の故事が残されていることでも知られています。少し前に紹介した晏嬰狐裘もその一つです。これは、晏嬰の倹約ぶりを讃えたものですが、今回紹介したものは晏嬰の忠節心を讃えたものだといえます。

 晏嬰という人物がこれほど讃えられているのは、どれほど名声を得ても、決しておごることなく、国のために忠心を怠らないひたむきさがあるからだと思います。よく権力の座につくと人となりがいやがおうでも変わってしまうということが多いですが、そんな時こそ見習ってほしい故事だと思います。

posted by landmark at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 四字熟語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/20702188

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。