2006年09月18日

意気投合

●70.意気投合(いきとうごう)

【意味】互いの気持ちがよく合って、仲良くなること。「投合」とは、人の気持ちなど、二つのものが互いにぴったりと合うことをいう。

※類義語
意気相投、情意投合
「意気相投」に関しては、「意気相投ずる」と読むこともあります。

 非常に良く使われる熟語ですが、気持ちがぴったり合う、という意味で「合」が使われるのは当然ですが、個人的に「投」が使われているのは面白いと思っています。「投」というのは、単純に相手に向かってなげる意味しか持たないのでなく、「殳」という字自体が、上の部分が羽を立てた様子を表して、下の「又」は手を表し、全体として「手で立てる」ことを指すことから、「投」は、相手のいるところに立つかのように、相手におさまるように投げるというニュアンスを持っています。
 したがって、「投合」は、相手をとてもよく意識した表現ということになります。もしこれが「統合」だったら、全体に行き渡るという意味合いで、多くの意見を一つに集約するという意味しか持たず、なにか事務的な響きを感じてしまいますね。
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2006年09月06日

意気沮喪

●69.意気沮喪(いきそそう)

【意味】意気込みを失うこと。やる気をなくすこと。「沮喪」は、気力がくじけ、勢いがなくなることを指し、気落ちしたさまを表す。

※類義語
意気沮喪、垂頭喪気(すいとうそうき)

※対義語
意気軒昂、意気衝天、意気揚揚

※参考(「沮」と「阻」)
 「沮喪」は「阻喪」とも書きます。「沮」と「阻」は、ともに「はばむ」や「くじける」といった意味を持ちます。今ではどちらかといえば「阻」のほうが馴染み深い漢字ですが、『孟子』(巻二「梁惠王章句下」十六)では、「有臧倉者沮君」(臧倉<ぞうそう>なる者有りて君を沮む)とするくだりがあり、「はばむ」を表記するのに、「沮」を用いています。
 もともと「且」という字は、物を積み重ねたさまをあらわした象形文字です。沮はそれにさんずいを加えることで、水が重なって干かないさまを指して、阻はこざと(阜)へん(土もりを指す)を加えることで、土や石が積み重なって行く手をはばむことを指します。水と土の違いはあれど、ニュアンスは似ているため、この意味ではほぼ同視して用いられるようになったということができます。
 ちなみに「臧倉」とは、魯の平公のお気に入りの近臣です。上記の引用部は平公が孟子に会いに行こうとした際、臧倉が「礼儀も知らぬ一平民のためにどうしていく必要があるのか」と主張したため、平公が会いに行くのを取りやめたという話の一節です。このとき、楽正子(がくせいし)が、孟子に対し、事情を話したところ、孟子は、「人が出かけるのも出かけないのも人がそうさせるのではなく、あくまで天命のためにそうなるのだ」と答えました。

 「意気消沈」のところでも触れましたが、「意気阻喪」は意気込みがなくなることに重点があるのに対し、「意気消沈」は、むしろ感情的にふさぎこんでしまうことに力点があります。とはいえ、ともに意気込みが失われることには変わりありません。日常生活では、あまり陥りたくない状態といえます。いかにしてこの状態から脱却していくか、が重要ですね。結局は前向きに考える、など内面との格闘になってしまうのかもしれませんが。

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