2006年07月31日

伊尹負鼎

●60.伊尹負鼎(いいんふてい)

【意味】大望を叶えるために、まず自らを卑下すること。「伊尹」は、殷(商)初に活躍した政治家で、湯王(とうおう)を助け、夏の桀王(けつおう)を滅ぼして殷の成立に大きく貢献した人物。湯王は敬意を表して阿衡と称した(ここから「阿衡の佐」という表現が生まれた)。「鼎」は、3本の足をもち、物を煮るのに用いる金属製または土製の容器のこと。後に王侯の祭器、礼器となった。

【出典】司馬遷『史記』の殷本紀にみられる。伊尹は鼎を背負い料理人として殷の湯王に接近し、やがては宰相となり、国政を動かすまでになったという故事から。

※参考
 宮城谷昌光さんが、『天空の舟 小説・伊尹伝』(上・下)でこの伊尹の生涯について記しています。伊尹はとにかく色々な伝説がある人で、出生の時にも伊尹の母が「水に臼が浮かんだら、東に駆けて、決して振り向いてはならない」というお告げに反したことで、大洪水に巻き込まれましたが、その時、母が空桑(中に空洞のある桑)の大木と化し、その幹から伊尹が生まれたという話があります。
 湯王の片腕となって活躍した伊尹ですが、『竹書紀年』という書には、「伊尹即位、放太甲七年、太甲潛出自桐、殺伊尹」とあり、「伊尹が即位し7年間在位したのち太甲に殺された」となっていてこの点も謎となっています。


 歴史上の人物を基にした表現というのは、多くありますが、そうした表現が残るのも人物そのものに魅力があって、長く語り継がれるような存在であるということが挙げられるでしょう。伊尹という人物が、今でも時々話題にのぼることがあるのは、その逸話もさることながら、やはり人物自体に魅力があるからだといえます。

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2006年07月30日

依依恋恋

●59.依依恋恋(いいれんれん)

【意味】恋い慕うあまり離れられないさま。「依依」は、思い慕って離れにくいさま。また、木の枝などがしなやかなさまを指す。「恋恋」は、思い焦がれていつまでもあきらめきれないさま。また、執着して未練がましいさまを指すこともある。この場合、どちらも前者の意味で用いられている。類似した語を重ねて用いることで、あきらめきれない思いを強調した表現。

※参考
 「帰園田居」(園田の居に帰る)という陶淵明(陶潜)の有名な漢詩がありますが、全5首あるうちの1首目に「依依墟里煙」(依依たり墟里の煙)という部分があります。「曖曖遠人村」(曖曖たり遠人の村)と対になって用いられていますが、ここでの「依依」は、懐かしさのあまり離れにくいという意味合いで、「依依恋恋」の「依依」と同じ意味で使われています。
 陶淵明は、もともと下級貴族の出で、官職の道についていたのですが、41歳より故郷の田園に帰りました。「帰去来の辞」というよく知られた詩はこのときに書いたものですが、この後も故郷での田園の生活を歌った詩を発表し、田園詩というジャンルで新たな境地を切り開きました。「帰園田居」もその一つで、故郷を思う気持ちが述べられています。


 誰かを(何かを)あきらめきれないほど深く思うということは、人としてとても根源的なことなのではないか、と思います。あまり意識してないけれど、ふと心惹かれてしまうということは、誰しも経験があることではないでしょうか。

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2006年07月29日

唯唯諾諾

●58.唯唯諾諾(いいだくだく)

【意味】事のよしあしに関わらず、人の言うことに従うさま。「唯唯」は、かしこまって承諾するときの返事のことば。「諾諾」は、他人の言葉に逆らわずそのまま承諾するさま。「唯」は、かしこまって急いで答える返事で、相手に敬意を払う意味合いがある。「諾」は、やや間をおいてゆっくりと考えて答える返事。

【出典】『韓非子』(八姦編)
「此人主未命而唯唯,未使而諾諾,先意承旨,観貌察色,以先主心者也。」(此れ人主、未だ命ぜずして唯唯、未だ使わずして諾諾、意に先んじ旨<むね>を承<う>け、貌<かお>を観、色を察し、以て主の心に先んずるなり)から。
 『韓非子』の八姦は、臣下が主君の権力を侵害する8つの計略について論じ、その対処策を述べた編です。八姦とは、「同牀」「在旁」「父兄」「養殃」「民萌」「流行」「流行」「威強」のことで、それぞれはごく簡潔に述べられています。以下のような意味です。

・同牀(どうしょう)・・・主君の色欲につけこんで、寵愛する者を通じて主君を動かす。

・在旁(ざいぼう)・・・主君が寵愛する近臣に取り入って、それらを買収して機嫌をとり、主君の心を自分に都合のいいように誘導する。

・父兄(ふけい)・・・主君と親しい親類や大臣(これも君主の縁者が多い)に頼み込む。

・養殃(ようおう)・・・家臣が民の力で宮殿を飾り、また賦税を重くして女性を美しく装わせることで主君の歓心を買い、さらなる欲望を引き出そうとする。

・民萌(みんぼう)・・・家臣自らが下に利益を与えて大衆を味方につけて、主君を孤立させる。

・流行(りゅうこう)・・・家臣が国中の論者たちを買収して自らに有利な議論を流布させ、君主の心を動揺させる。

・威強(いきょう)・・・民萌の逆。私党を募って下に威力を示し、助勢する者には利益を与えるが、助勢しない者には必ず死が待っていると示すことで、大衆を震え上がらせて実権をつかむ。

・四方(しほう)・・・家臣自らが国庫を使い大国にとりいって、その外圧によって主君を動かす。

 上記の故事は、2番目の「在旁」から出ていて、意味は「主君がまだ何も命令してないのに『はい、はい』と言い、まだ何もさせていないのに『はい、はい』と言って、意志表示より先にその旨を理解し、顔色を見て、主君の心を先どりする」というもので、このような人物は、挙措を同じくするものだから、これらが買収されると、主君の心に影響を与えるとしています。

※参考
 司馬遷の『史記』には、「千人之諾諾、不如一士之諤諤」(千人の諾諾は、一士の諤諤に如かず)という一節があります。「権勢に従順な千人の部下がいたとしても、自らの信念を持って直言する一人の部下には及ばない」という意味です。

 もともと「唯」と「諾」は、上記のように微妙に意味合いが異なっていたのですが、「はいはい」と相手の意見に従う点で同じで、「唯唯諾諾」という表現にみられるように、やがて両者が一体となって用いられることが多くなりました。


 八姦は、主君の人心を捉える策をうまくまとめたものだと思います。また、このような類型は封建社会だから意味を持ったというだけでなく、今でも広く通じるものといえそうです。

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2006年07月28日

以夷制夷

●57.以夷制夷(いいせいい)

【意味】外敵を利用して他の外敵を制すること。他人の力を利用して自分に利するようにはかること。「夷」は、東方の未開の異民族のこと。古代中国では自らを民族文化の中心とする中華思想から、周辺の異民族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)[これらを総称して「夷蛮戎狄(いばんじゅうてき)」という]と呼んで蔑視していた。東夷には、倭や朝鮮を、北狄には、匈奴や鮮卑などを含んでいた。総じて外敵を指す。

【出典】『後漢書』(とう訓伝/「とう」は登+おおざと)「議者咸以羌胡相攻,県官之利,以夷伐夷,不宜禁護」から。ここでは「以夷伐夷」(夷を以て夷を伐<う>つ)と表記されていた。

※「夷を以て夷を制す」と書き下して読むこともある。

※参考
 また、北宋の王安石の碑文には、「兵法所謂以夷攻夷」とあり、「以夷攻夷」(夷を以て夷を攻む)と表記されています。意味は「以夷制夷」とほとんど同じです。

 中華思想に関してはいくつか留意すべき点があります。「中華」とは、世界の中心にある最も華やいだ文明国の意味ですが、もともとは中原(黄河下流地域)以外の周辺国を文化水準の劣った国とみなし、中原(特に現在の河南省あたり)を「華」とした概念でした。また、中華の華はもともと古代の夏王朝の「夏」から「中夏」と表記されていました。
 中華思想は、かなり古くから20世紀の初頭まで中国社会のあらゆる側面を覆うものでしたが、これに類する概念は中国だけにとどまらず、歴史的には広く他の国々にもみられたものでした(もちろん中国が際立っていましたが)。また、中華と夷の区別は相対的なもので、中国の社会や文化に同化すれば、中華と認められたといわれています。


 「以夷制夷」は、政策、特に外交の面で使用されることが多いことばです。もともとは中国が周辺民族対策に用いた伝統的政策で、外敵同士を戦わせることで、自らは何もしなくとも外敵の圧力をそごうというものでした。現代では、「敵の敵は味方」ということばとあいまって非常によく知られたことばになりました。しかし、「敵」と「味方」とを厳然と区別することは外交の本来の姿にはあまりそぐわないものだとも思うのですが・・・。

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2006年07月27日

安楽浄土

●56.安楽浄土(あんらくじょうど)

【意味】心身に苦痛がなく、汚れや迷いもない楽しくのんびりとした国土のこと。「安楽」は、心身に苦痛がなく楽しくのんびりとしていること。「浄土」とは、汚れや迷いのない世界(国土)のこと。主に人間の住む世界を「穢土(えど)」というのに対比して用いられる。西方浄土往生の思想が盛んになるにつれて、仏教でいう阿弥陀仏の西方極楽浄土を指すようになった。

※類義語
極楽浄土

※参考
 「安楽」の語は、もとは『孟子』告子下・十五に「知生於憂患而死於安楽也」(憂患に生じて安楽に死するを知るなり)として出てきます。これは、憂患の中にあってこそ生き抜くことができて、安楽にふければ必ず死を招くといった意味で、どちらかというと「安楽」を否定的にとらえていっています。

 親鸞が著した『浄土和讃』には、「安楽浄土にいたるひと/五濁悪世にかへりては/釈迦牟尼仏のごとくにて/利益衆生はきわもなし」とあります。つまり安楽浄土にいたった人は、五濁悪世の世界に返ってきても、まるで釈迦如来のように、衆生を自在に救うことができるといった意味です。
 ここに、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」とありますが、これは、五つのけがれに満ちた悪い世界を指す仏教語です。五濁とは、「劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁」とされ、以下のような意味です。

1.劫濁(こうじょく)・・・天災・疾病・争乱などが起ること。

2.見濁(けんじょく)・・・誤った考えがはびこること。

3.煩悩濁(ぼんのうじょく)・・・人々が煩悩によりさまざまの罪を犯すこと。

4.衆生濁(しゅじょうじょく)・・・人々の心身の資質が堕落すること。

5.命濁(めいじょく)・・・人々の寿命が短くなること。


 安楽浄土というのは、仏教語としては、人間の世界を良くないものとしてとらえ、それを超越したものとしてとらえた表現なので、そもそも現代社会にはなじみにくい概念といえます。心配することなく生活するということは、たしかにうらやましいことですが、心配する中でまた新たな人間性を見出だしていくこともまた重要な側面だといえます。

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2006年07月26日

按兵不動

●55.按兵不動(あんぺいふどう)

【意味】好機が来るのをじっと待つこと。「按兵」は、軍隊をおさえて出発させないこと。「按」は手で(上から下へと)おさえる意。「不動」は、動かないこと。兵をおさえて動かさずじっと好機が来るのを待つ意から。

【出典】『呂氏春秋』(恃君覧<第20巻>召類<第4篇>)「趙簡子按兵而不動」(趙簡子兵を按じて動かず)より。趙簡子は中国春秋時代の晋の政治家である趙鞅(ちょうおう)のこと。趙襄子(趙無恤)の父にあたる。

※類義語
按軍不動

※参考
『呂氏春秋』
 秦の呂不韋(りょふい)が食客3000人を集め、先秦における諸学説や伝説・知識を文章化させたものです。全体で26巻160篇あり、十二紀(1年12ヶ月を春夏秋冬に分け、さらにそれを孟・仲・季の三節に分けたもの)・八覧・六論の3部門で構成されています。当時のあらゆる思想が述べられていてさながら百科全書のような趣があるといわれます。出来栄えには、呂不韋も自負するところがあり、本書完成にあたっては、書を都の咸陽(かんよう)の城門にかかげて、一字でも訂正できるものがあれば、千金を与えるといったとされます。この故事から「一字千金」という語が生まれましたが、これについてはまた該当回で取り上げることにします。


 何か心が晴れないことがあると、つい理非を別にして行動しなければ、と思うものですが、そんな時は、按兵不動、じっと我慢して機が熟するのを待つことにより、事態が好転することがあるということですね。

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2006年07月25日

安分守己

●54.安分守己(あんぶんしゅき)

【意味】自らの本分をわきまえて生きること。「安分」は、自らの本分に安んじること。現在の立場や境遇に満足すること。「守己」は、自らの身を持すること。

【出典】宋・袁文『甕[片+(戸/甫)]閑評(おうゆうかんひょう/「甕」は酒や水を入れるかめ、「ゆう」は窓の意)』第八巻「彼安分守己、恬于進取者、方且以道義自居、其肯如此僥幸乎?」から。
 安分守己は「分に安んじて己を守る」と読む。

※類義語
知足安分

 安分守己は、いわば「身の程を知って」さらに、それを踏まえて生きることなので、「身の程知らず」は、正反対の語といえます。
 「身の程を知る」とは、士農工商のように厳然とした身分社会があった時代に特に意味を持った概念でした。武士とそれ以外が身分として大きく違っていた時代です。そこでの「身の程」は、いわば外からの制度による側面が強いものだったといえます。
 しかし、今は少なくともそのような区別はなくなった以上、身の程を知って、つまり安分守己に即して生きることが、個人の内面により依拠するようになったといえるかもしれません。自らを律することは義務ではない以上、自分から欲さないと実現できない概念になりました。
 また、現代は価値観が多様化し、その尺度もまた多様化したため、どれだけ自分を律すればよいのかということが分かりにくくなっているということもできます。この点で「安分守己」に即して自分らしく生きるということがだんだん難しくなってきているといえますが、またその分この語の持つ意味合いの価値も高まったということができます。

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2006年07月24日

安穏無事

●53.安穏無事(あんのんぶじ)

【意味】何ら変わったこともなく、安らかで穏やかなこと。「安穏」は、安らかで穏やかなこと。「無事」は、これといって変わったこともなく、穏やかであること。よって、この熟語は、同じような意味の熟語が組み合わされて成り立っている。

※類義語
平穏無事

※参考
 豊臣秀吉はしばしば「惣無事令(そうぶじれい)」という法令を出し、大名間での私闘を禁じましたが、ここでの「無事」は、上の安穏無事の「無事」と同じです。1585年10月に九州地方、1587年12月に関東・奥羽地方に向けて出されましたが、九州の島津氏と関東の北条氏が反発したため、九州征伐、小田原征伐に続いていくことになりました。 

 また、「無事」という語は、上記の意味以外に文字通り「することがない」ということから、「ひまなこと」を指すこともあります。杜甫の詩『示従孫済』に「諸孫貧無事、宅舎如荒村」(諸孫は貧しくて事無くなく、宅舎は荒村のごとし)とありますが、この「無事」は、手持ち無沙汰ですることがないという意味です。


 安穏無事といえば、何も事件がない状態がそれに当たりますが、現代社会にあってそのようなことはありえなくなっています。特に最近はニュースを見ていても心が痛むような事件が多く、とても残念に思います。

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2006年07月23日

安寧秩序

●52.安寧秩序(あんねいちつじょ)

【意味】世の中が穏やかで、秩序が維持されていること。「安寧」は、世の中が穏やかで平和なことを指す。

※参考
 司馬遷の『史記』(秦始皇本紀)に「天下無異意則安寧之術也」(天下に異意無きは、則ち安寧の術なり)としてみられます。「異意」とは、上位の者に反逆する心、離反の心で、異心や異志と同じ意味です。つまり、天下に離反心がないということが、「安寧」だといっています。

 「安寧秩序」自体は、良いニュアンスを当然に持ちますが、歴史上は、しばしば統制を正当化することばとして用いられました。
 大日本帝国憲法の第28条は、「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」として、安寧秩序を乱さないということが、信教の自由を構成するひとつの根拠とされています。また、同じく第59条には、「裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ノ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得」として、裁判所の対審を公開するのにも、安寧秩序を乱していないか、が要件となされました。

 また、明治26年の出版法もその第19条に「安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱スルモノト認ムル文書図画ヲ出版シタルトキハ内務大臣ニ於テ其ノ発売頒布ヲ禁シ其ノ刻版及印本ヲ差押フルコトヲ得」として、 同様に制限が加わっています。


 安寧秩序をもっぱら正当化の理論として根拠付けるのはかなり問題ですが、世の中が平和のうちに治まるのは、国家である以上、理想であることには間違いありません。その状態を完全に実現するのはほとんど無理なことですが、いかにして安寧秩序の状態に近づけていくかは、政策上とても重要であるといえます。

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2006年07月22日

暗中模索

●51.暗中模索(あんちゅうもさく)

【意味】暗闇の中で手探りで探すこと。転じて、手がかりのないまま、いろいろと試しにやってみることを表す。「模索」は、手探りで物を探すこと、状況が不明の中で方法を探究することを指す。現在は「暗中模索」と一般的だが、出典の表記にも見られるように、もとは「暗中『摸索』」である。

【出典】『隋唐嘉話(ずいとうかわ)』の以下の部分から。
 「許敬宗性軽傲、見人多忘之。或謂其不聡。曰『卿自難記、若遇何・劉・沈・謝、暗中摸索者亦可識之。』」より。

 唐の政治家だった許敬宗(きょけいそう)は、狡猾で冷酷無情な性格で女性の武則天(則天武后)を擁立し権勢を振るった人物ですが、文才に優れ、著作郎になり国史の編纂などを行うといった一面もありました。
 彼は、忘れっぽくて会った人の名前も忘れることが多かったでのですが、そのときに、ある人が「もし、何晏(かあん)、劉てい(「てい」は木+貞)、沈約(しんやく)、謝霊運(しゃれいうん)といった有名人に会ったら、暗い中を探ってでも見知ろうとするだろう」と言ったというのが上の原文の部分です。」

※参考
 松尾芭蕉の『奥のほそ道』の「象潟(きさかた)」の一節に
 「闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色またたのもしきと、蜑(あま)の苫屋に膝を入れて、雨の晴るるを待つ。」という部分があります。意味は、「暗やみの中を手さぐりするようにして見る雨中の夜景がこんなにも素晴らしいのだとすれば、さらに雨が上がったあとの景色はどんなにすばらしいだろうと期待をかけて、小さな漁師のあばら屋にわずかに膝を入れて、雨のあがるのを待つ。」というものです。蜑とは、漁師のことです。
 この一節は、唐の蘇軾(そしょく)の詩「飮湖上初晴後雨」の言を踏まえたものです。

水光瀲艶晴方好(艶はさんずいが要ります)
山色空濛雨亦奇
欲把西湖比西子
淡粧濃抹総相宜

水光 瀲艶(れんえん)として 晴れ方(まさ)に好し
山色 空濛(くうもう)として 雨も亦(ま)た奇なり
西湖を把(も)りて西子に比せんと欲すれば
淡粧濃抹総(す)べて相宜(よろ)し

水面にはさざ波のしきりに起って、晴れてちょうど良い
山の色がぼんやりと曇り、雨の景色もまた良いものだ
西湖を西施と比べようとするならば
薄化粧も濃い化粧も(晴れでも雨でも)、どちらもなかなか良いものだ

 ここで「雨亦奇」は上の一節の「雨もまた奇なり」という部分に、また雨の上がった景色は、「晴れ方に好し」という部分を意識したものと考えられます。


 暗中模索は、とても一般的な用語として使われています。1000年以上もの歴史を経て、なお使われているというのは、不思議なことでもあり、ドラマチックな感じもします。
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2006年07月21日

暗中飛躍

●50.暗中飛躍(あんちゅうひやく)

【意味】人に知られないようにひそかに活動すること。主に政治的な話題で多く使われる。「飛躍」は、高くとびあがることから、盛んに活動することを指す。

※参考
 この熟語を略したものが「暗躍」です。「暗躍」というと、普通は否定的な、あまり好ましくない意味合いで使われることが多いですが、「暗中飛躍」自体に含まれる「飛躍」は本来好ましいニュアンスを秘めているので、「暗躍」=「暗中飛躍」は、好ましい意味でも用いられます。その場合は、人知れず「活躍する」というニュアンスが前面に出て、策動するというイメージは後退することになります。

 暗中飛躍は、「活動」の意味づけの方向によって、肯定的にも否定的にも解されますが、どちらかといえば否定的な用法が多く見られるのは、やはり「暗中」の「暗」という字が一般に否定的なニュアンスを強く持つからでしょうか。「暗愚」のように「暗」には道理や知識に暗い、という意味もありますし、全体として「暗」のつく語には好ましくない意味合いが含まれていることが多いのは事実です。

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2006年07月20日

安宅正路

●49.安宅正路(あんたくせいろ)

【意味】仁と義をたとえたもの。「安宅」は、安心して身をおくことのできる場所(家)のことで、仁のたとえ。「正路」は、正しい道のことで、義のたとえとして使われている。「仁」は、いつくしみや思いやりを指すことばで、「義」は、人として守るべき正しい道を指すことば。ともに儒家の道徳思想の中心概念である。

【出典】『孟子』(離婁<りろう>・上・第十章)の以下の一節から。
 「仁人之安宅也、義人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。」(仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠<むな>しくして居<お>らず、正路を舎<す>てて由らず。哀しいかな。)
 「仁は、人が安心して身を置ける家であり、義は、人の踏むべき正しき道である。安全な住居を空にして住まず、正しき道を捨てて通らないのは残念なことだ。」という意味。

 この一節は「孟子曰、自暴者不可與有言也、自棄者不可與有為也。言非禮義、謂之自暴也、吾身不能居仁由義,謂之自棄也。」(孟子曰く、自ら暴<そこな>う者は、与<とも>に言うあるべからざるなり。自ら棄つる者は、与に為すあるべからざるなり。言、礼儀を非<そし>る、之を自ら暴うと謂い、吾が身仁に居り義に由ること能わずとす、之を自ら棄つると謂う。)に続くものです。
 意味は、「孟子が言われた。自ら自分を駄目にしてやけくそになっている人間とは、一緒に語り合うことはできない。自ら諦めてすてばちになっている人間とは、一緒に仕事はできない。発言によって礼儀を非難する者を自暴といって、自分のような身では仁や義を行うことはできないという者を自棄という。」というものです。
 また、ここから出たことばが「自暴自棄」です。よって、安宅正路は、孟子が「自暴自棄」になっている者は「安宅」を無にし、「正路」を通らないと嘆き、「安宅」や「正路」にたとえられる「仁」や「義」こそ大切なのだと主張したところから出たことになります。

 また、「安宅」と「正路」をそれぞれ「仁」と「義」になぞらえた表現は、『孟子』の他の部分にも見られます。
 公孫丑・上・第七章には、「夫仁天之尊爵也、人之安宅也」(夫<そ>れ仁は天の尊爵なり、人の安宅なり)と「仁」=「安宅」という図式がみられ、尽心・上・第三十三章には、「居悪在、仁是也、路悪在、義是也(居悪<いず>くにか在る、仁是なり、路悪くにか在る、義是なり」と述べられています。


 すべての人が互いを思いやり、また人の行うべき道を行うなら、世界はとても平和になるのでしょうが、いつの時代にも犯罪や戦争が起こるのは事実で、こればかりはなかなかうまくいきません。でも、それらが、たとえ防ぐことができないにしても、一人一人が、相手のことを尊重しようと努めることは決して無駄ではないし、意味のあるものだと思うのです。
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2006年07月19日

暗送秋波

●48.暗送秋波(あんそうしゅうは)

【意味】ひそかに流し目を送って、相手に媚びること。「秋波」は、秋の澄んだ水波のこと。ここから転じて美人の涼しい目もとを指すようになり、女の人の媚びる目つき、流し目を表すようになった。

※参考
 この四字熟語を慣用句的に書けば、「秋波を送る」となります。これは、もともとは、女性が異性に対して流し目を送るという意味ですが、政治や経済などの話題で、相手を引き込む際の駆け引きを形容して使われることも多いです。
 また、「秋波を送る」は、李いく(火へんに「日+立」)の「菩薩蛮(ぼさつばん)」という詩の次の部分に由来します。「眼色暗相鉤、秋波横欲流」(眼色暗<ひそ>かに相<あい>鉤<いざ>ない、秋波横ざまに流れんと欲す)「目でひそかに誘う、その媚びる目があふれんばかりに流れてくる」からです。
 李いくは、中国の五代十国時代の南唐の第三代皇帝でしたが、政治的手腕はほとんどありませんでした。その代わり文学的な才能はめざましく、当時勃興しつつあった詞をはじめとして書や絵画にもその才を発揮した人物です。

 秋は冬の前でどことなく寂しげな感じがありますが、その一方で紅葉をはじめとして風景が美しいという印象も見る者に抱かせます。その点で二面性があるといえそうです。例えば、秋思(しゅうし)といえば、秋に感じるものさびしい思いを指し、前者のニュアンスが出ていますが、一方で、「秋波」は、この後者にあたる典型例です。
 「秋」に関して、少し興味深いのが、「秋娘」(しゅうじょう)という表現です。これは、一般には美人を指すのですが、風景ではなく、唐の謝秋娘・杜秋娘という美女からきたものです。しかし、「秋」の寂しげな感じが類推させたのでしょうか、年を経て容色の衰えた女の人を指すようにもなりました。
 いわば、まったく対照的な二面性を指す語ですが、ことばは本来の意味を離れ、いかようにも多義的な意味を伴いうることの例で、またそこがことばの面白いところでもあります。
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2006年07月18日

暗箭傷人

●47.暗箭傷人(あんせんしょうじん)

【意味】暗に人を傷つける行為を指す。「暗箭」は、暗闇から放たれる矢のこと。「傷人」は、人を傷つけること。

※類義語
暗箭中人(あんせんちゅうじん)
 ここで、中は的中すると言う意味で、全体の意味は、「暗箭傷人」とほぼ変わらない。これは、宋·劉炎の『迩言(じげん)』第六巻「暗箭中人、其深次骨、人之怨之、亦必次骨、以其掩人所不備也」に由来するとされる。

 暗箭傷人は端的に言えば、「誹謗中傷」を暗に行う、ということです。最近は通信手段が発達した結果、なにかと便利になり、直接自分が出向かなくてもさまざまなサービスを享受することができますが、その一方で、顔の見えない相手からいわれのない中傷を受ける危険性というのも持っているわけです。その意味では、便利さの裏には、やはりそれなりの規則の整備やマナーが求められるということですね。

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2006年07月17日

按図索驥

●46.按図索驥(あんずさくき)

【意味】理論ばかりに頼って実際には役に立たない意見のこと。「按」は、調べる。「索」は、「捜索」で使われる「索」で、探し求めること。「驥」は、一日に千里を走るという優れた馬のこと。

【出典】『漢書』(梅福伝)「今不循伯者之道、乃欲以三代選挙之法取当時之士、犹察伯楽之図求騏驥于市、而不可得、亦已明矣。」より。
 有名な相馬師(馬の良否をという判断する人)だった伯楽は、その晩年に『相馬経』という本を著した。その息子は、馬にも乗ったことがなかったにもかかわらず、父の書を頼りに、馬を見極めようとしたという故事から。上記は、そんなことをしても結局は得られないのが明白だ、としています。

※類義語
按図索駿(あんずさくしゅん)

※「図を按じて驥を索(もと)む」と書き下して読むこともある。

※参考
 「驥」については、『論語』にも「驥不称其力、称其徳也」(驥はその力を称せず、その徳を称するなり)「優れた名馬はその力をほめられるのではなく、その徳<性質の良さ>をほめられるのだ」として見られるように、古来より価値のあるものでした。
 汗血馬(かんけつば)もほぼ同じものです。汗血馬で知られる故事としては、前漢の武帝の時代に、西域へ使わされた張騫(ちょうけん)が、大宛(フェルガナ)にこの名馬がある、ということを報告した場面です。このときは、結局得られませんでしたが、後に李広利(りこうり)が、この地から汗血馬を持ってくると、武帝は非常に喜び、「汗血馬こそが天馬」だと賞賛したとされます。

 伯楽は、馬の良否を見分けるのにとても長けた人だったので、そこから、「名伯楽」というように「伯楽」といえば、人物を見抜く眼力のある人をも指すようになりました。
 『相馬経』は、従来伝わっていませんでしたが、1973年に馬王堆墳墓から、それとみられるものが出土されました。芥川龍之介の「馬の脚」という作品には、「わたしは馬政紀(ばせいき)、馬記(ばき)、元享療牛馬駝集(げんきょうりょうぎゅうばだしゅう)、伯楽相馬経(はくらくそうばきょう)等の諸書に従い、彼の脚の興奮したのはこう言うためだったと確信している。」として出てきます。
 主人公忍野半三郎(おしのはんざぶろう)は、ある日突然倒れ、生命を失いましたが、本人は何も死んだという意識がない。足だけが腐っているということが分かったのですが、緊急ゆえ、どうすることもできず馬の脚で代替させられます。その後、半三郎は復活し、意識が戻ったのですが、馬の脚は戻らない。ある日、突然半三郎の脚が躍りだしたのですが、この理由を筆者が代弁して探求するくだりが上の部分です。なんとも不思議な話ですが・・・。


 この四字熟語は、上記のようにもともとは馬から生まれたものです。四字熟語や慣用句には、生き物を素材にした表現が多くありますが、それは私たちが知らずと自然に眼を向けてきたという事実の表れなのかもしれません。

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2006年07月16日

安心立命

●45.安心立命(あんじんりつめい)

【意味】心を安らかにして、天命に身を任せ、決して動揺したりしないさま。「安心」は、信仰によって心を安らかにすること。この意味では、「あんじん」と読む(仏教語)。「あんしん」と読めば、不安なことがなく、落ち着いた状態を表す。「立命」は、ここでは、人為によって損なうことなく、天命を全うすることで、『孟子』に由来する(→参考を参照)。「安心立命」はもとは儒教の語だったが、次第に禅宗の語としても使われるようになった。

※「あんじんりゅうみょう」(仏教語としての読み方)や「あんしんりつめい」、「あんじんりゅうめい」と読むこともある。

※類義語
安心決定(あんじんけつじょう)

※参考
 京都に立命館という大学があります。前身は中川小十郎が建てた京都法政学校ですが、名前の由来は、西園寺公望の私塾立命館によっています。この塾はわずか一年足らずで閉鎖されてしまうのですが、1905年に中川小十郎が私塾立命館の名を引き継ぎたいと申し出、そこから現在の名称になったとされています。
 「立命」とは、『孟子』の第十三巻「盡心章(じんしんしょう)・上」の冒頭に見られる表現です。「殀壽不貳、修身以俟之、所以立命也」(殀寿貳<たが>わず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり)に由来します。「殀寿(ようじゅ)」とは、短命と長寿のこと。短命でも長命でも、ひたすら天命に従って、ただ一筋に自らの修養に励み、天命(寿命)を待つのが、人の本分を全うする道である」と言う意味です。
 西園寺はこれに続けて「蓋し(けだし=思うに)学問の要はここに在り」と述べています。この由来によって、中国政府から立命館大学に孟子像が献上されたのは知られています。

 「安心立命」は、「安心立命として暮らす」や「安心立命を得る」という形で用いられて、心の平静を強調することが多いですが、現代のようにさまざまな場面でスピード感が求められる時代では、なかなか安心立命の境地は体感することができないのが現状ですね。たまにはゆっくりしたいな、と思ってもなにかをしないといけないという気持ちが働いてしまいます…。そういう意味では、安心立命というのはなかなか難しくものだな、と思ってしまいます。

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2006年07月15日

暗証禅師

●44.暗証禅師(あんしょうのぜんじ)

【意味】坐禅の工夫にばかり打ち込んで、教理に暗い僧のこと。禅宗の僧を他宗から非難していうことば。「暗証」とは、もともとは仏教語で、教理の理解に乏しい(坐禅ばかり重視している)こと(現在も「暗証」といえば、これが第一義である)。ここでの「証」は、「さとる、さとり」という意味。現在は、ここから転じて「本人であることを暗に証明すること」という意味でもっぱら使われる。私たちが日常使用している暗証番号とは、この後者の意味。

※参考
 逆に教理の研究ばかりするあまり実践である修行の方面を忘れているとして禅宗から他宗の僧を非難する表現が「文字法師(もんじのほうし)」です。また、経典をただ唱えているだけだという意味を込めて「誦文法師(じゅもんのほうし)」ともいいます。
 吉田兼好は、『徒然草』で、「文字の法師、暗証の禅師、たがいに測りて、己(おのれ)にしかずと思へる、共に当らず。」(一九三段)と述べていますが、ここでは、「実践こそが重要だ」「理論こそが重要だ」と互いに争って、どちらも自分より理解していないとしているが、これはどちらも的をえていないと非難しています。


 ものごとをなすには、常に「実践」か「理論」かという二つの選択肢が対立します。しかし、本当に重要なのは、どちらかを選ぶことではなく、むしろそのものごとに一歩踏み出すこと、挑戦してみようとする「強い意志」なのではないでしょうか。人は弱いもので、つい目標としたことより他のことに目がそれてしまうものですが、大切なのは内面なのだ、ということは案外往々にしてあてはまるのかもしれません。
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2006年07月14日

安車蒲輪

●43.安車蒲輪(あんしゃほりん)

【意味】老人をいたわり、手厚くもてなすこと。「安車」は、座って乗れるように作ってある古代中国の車。当時の中国の一般の車は四頭立てで、立って乗るものだったため、安車はむしろ特別のものだった。「蒲輪」は、車輪の振動を抑えるために、蒲(がま)で包んだ車輪のこと。

【出典】『漢書』(儒林伝、申公)「安車以蒲裹輪、駕駟迎申公。」(安車をして蒲をもって輪を裹<つつ>み、駟<し>に駕<が>して申公を迎う。)から。「駟」は、四頭だての馬車のこと。「駕す」は、馬車などに乗ること。この場面は、すでに八十才を越え、経験豊かな魯の国の儒者・申公を武帝が丁重に迎えた時の描写。

※参考
 「安車蒲輪」というのは、特別なものだったので、古代の中国では「天子が乗るような特別な車」を意味ものでもありました。その意味で使われているのが、以下の故事です。
 208年、魏の曹操の軍と蜀の劉備・呉の孫権連合軍が争った「赤壁の戦い」で、連合軍が勝利を収めたのですが、その勝利に貢献した魯粛(ろしゅく)に対し、君主の孫権が、魯粛の馬の鞍を支えて、彼を馬から迎え降ろし、「これであなたの功績を称えるのに十分だろうか」と聞きました。これに対し、魯粛は、「否」と答え、「私を安車蒲輪に乗せて迎えて初めて十分といえるのです」と答え、周りを苦笑させたというものです。

 日本はこれからどんどん高齢化社会をたどっていきます。文字通り「安車蒲輪」する必要がある時代がやってくるわけです。世の中は一人では生きていけないので、いろんな年代の人が手を携えて生きていく社会になっていけばいいなぁ、と思ったりします。
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2006年07月13日

晏子高節

●42.晏子高節(あんしのこうせつ)

【意味】晏嬰が臣下として君主への忠節をまっとうしたさまを指す。「晏子」とは、広義では、晏嬰とその父親晏弱(あんじゃく)を指すが、ここでは晏嬰のこと。

【出典】『晏子春秋』(雑・上)以下の故事より。
 斉の国でのこと。荘公の6年(前548年)の5月、崔杼(さいちょ)は、自ら帝位に就けた荘公が自分の妻と姦通していることに憤慨し、荘公を殺してしまいました。
 その後、崔杼は、荘公の異母弟の杵臼(しょきゅう)を立てて、景公としました。崔杼が右相になり慶封が左相になり専制政治を行い、「崔氏・慶氏にさからったものは皆死罪である」という布告まで出されたのです。これに斉で名声が高かった晏嬰も従わせようとしましたが、晏嬰は断固としてこれに従いませんでした。ただ君主に忠義を尽くし社稷(国家)に利するものにのみ従うと言って聞かなかったといいます。

 結局この崔杼は、翌年、家内でのもめごとを慶封に利用されて自殺し、またこの後宰相となった慶封も、その子・慶舎や田氏等に攻められ呉に亡命し、その後は晏嬰が景公を立てて宰相となり、斉の繁栄に貢献しました。

※類義語
晏嬰脱粟(あんえいだつぞく)
 長雨が17日続き、国民は飢餓で疲弊しているにもかかわらず、それを省みず、酒を飲み続けた景公に対し、晏嬰は、これを諌め、民に蔵米を分け与えることを請うたが、許されなかったため、ついに職を辞退し、自らの家の蔵米を人民に分配し尽しました。
 景公は、自らの非を認め、斉の粟米財貨を奉じてこれを人民に分かつことを約したという故事から。


 晏嬰は、名宰相として誉れ高く、『史記』を著した司馬遷までもが、「もし晏嬰が今生きているのであれば、自分は彼のために御者をつとめたい」と絶賛しています。
 また、沢山の故事が残されていることでも知られています。少し前に紹介した晏嬰狐裘もその一つです。これは、晏嬰の倹約ぶりを讃えたものですが、今回紹介したものは晏嬰の忠節心を讃えたものだといえます。

 晏嬰という人物がこれほど讃えられているのは、どれほど名声を得ても、決しておごることなく、国のために忠心を怠らないひたむきさがあるからだと思います。よく権力の座につくと人となりがいやがおうでも変わってしまうということが多いですが、そんな時こそ見習ってほしい故事だと思います。

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2006年07月12日

暗香疎影

●41.暗香疎影(あんこうそえい)

【意味】趣きある春の夕暮れの情景をいう。「暗香」は、どこからともなく漂ってくる花などのよい香りのことで主に梅の香りを指す。「疎影」は、光などに照らされて、まばらに映る影のこと。梅の別名でもある。よって、この語は主に梅についていうことが多い。

【出典】林逋(りんぽ:北宋の詩人)山園小梅(さんえんのしょうばい)より。
 この漢詩はとても有名で、梅を歌ったものとしては、最高傑作との評価があります。情景がよく目に浮かぶ詩で、「横斜」に対して「浮動」、「水清浅」に対して「月黄昏」など好対照の表現もうまく用いられています。なお、「暗香浮動」という四字熟語もほぼ同じ意味ですが、この漢詩から生まれました。

衆芳揺落独暄妍
 
占尽風情向小園       

疎影横斜水清浅       

暗香浮動月黄昏      

霜禽欲下先偸眼       

粉蝶如知合断魂       

幸有微吟可相狎       

不須檀板共金尊       

衆芳(しゅうほう) 揺落(ようらく)して 独り暄妍(けんけん)たり
風情を占尽して 小園に向かふ
疎影は横斜 水は清浅
暗香 浮動し 月 黄昏
霜禽(そうきん) 下りんと欲して 先ず眼を偸み
粉蝶 如し知らば 合(まさ)に魂を断つべし
幸ひに微吟の相狎(したし)むべき有り
須(もち)ひず 檀板(だんぱん)と金尊(きんそん)とを

多くの花が散りしぼんだ後、ただひとりあたたかく咲き誇っていて、
小さな庭の風情を独占している
まばらな梅の木の影は斜めにのびて 清く浅い水面に映り
ほのかな香りは漂い 月のおぼろげな光の中に映える
霜にあった白い鳥は、舞い降りようとして、(梅の白さに)まず周りをこっそり眼をむける
白い蝶は、もし白い梅花が咲いているのを知ったなら、きっと魂を奪われて驚くことだろう
幸い、私の低い吟声が梅とよく似合っている
拍子木も酒樽も今さら要らないのだ

※「衆芳」は、多くのかぐわしい花のこと。「暄妍」は、あたたかで景色が美しいこと(「暄」は、日ざしが行き届いて、ほかほかとしているさま。「妍」は、形よく整うこと)。霜禽(そうきん)は、霜にあった冬の鳥のこと。

※松尾芭蕉の句に「梅白し昨日や鶴を盗まれし」というものがあります(野ざらし紀行)。これは芭蕉が京都・鳴滝の山荘に知人の三井秋風を訪ねた時の句です。庭園の梅林の白梅は見事で、きっと鶴もいるだろうと思ったが、鶴は昨日盗まれたのか姿が見えないという意味で、生涯、梅を妻とし鶴を子として暮らした林逋になぞらえた句とされます。
 
 「暗香疎影」といえば、田能村竹田の「暗香疎影図」があります。昭和44年に国の重要文化財に指定され、現在大分市美術館に所収されています。谷間のうす暗い影の中で咲き誇る梅の様子を描いたもので、竹田の代表作のひとつとされます。

 また、南宋の院体画末期の画家だった馬麟(ばりん)もこの林逋の詩の絵画化を試みて、「暗香疎影図」を残しています。これは、台北故宮博物院に残されているといいます。

 
 四字熟語というと、固いものが多いのですが、このように風景から生まれた表現も叙情的でいいと思います。書き下し文も意味が取れていいですが、やっぱり漢詩は中国語で読めれば、もっと情感で出るんじゃないかなぁ、と思ったりします。とても難しいですが…(汗)。

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