2006年01月30日

浅瀬仇波

●20.浅瀬仇波(あさせあだなみ)

【意味】深い淵より浅い瀬のほうが激しく波立つという意味から転じて、思慮の浅い人は、さして取るに足りないような小さなことにも大騒ぎをするというたとえ。「浅瀬に仇波」ともいう。

【出典】古今和歌集 恋四722、素性法師(そせいほうし)
「そこひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて」(果てしない深さの淵は騒ぐことがあるだろうか、山川の浅い瀬にこそ、ざわざわと波が立つのである、の意)から。

※参考
素性法師
遍昭の子。清和天皇の時に殿上人となったが、若くして出家し、大和国石上の良因院に住んだ。古今集には36首入集し、歌数は第4位。三十六歌仙の一人でもある。

 この熟語では、波立つという意味をネガティブに捉えています。人間、何があってもまずは心を落ち着けて、再度見直してみるという姿勢が重要だということでしょう。
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2006年01月27日

我より古を作す

○5.我より古(いにしえ)を作す(なす)

【意味】古いしきたりや習慣にとらわれずに、自ら前人未到の新たな物事や規範を作り出して、後々の先例となるようにするということ。「我より故(こ)を作す」ということもある。

【出典】『宋史』
「自我作古」より。

※参考
『宋史』
 1345年成立。元の脱脱(だつだつ)らの編である。全496巻。宋代の歴史を記した正史であり、歴代二十四史の中でも最も膨大である。元の順帝の詔命により作られたが、南宋の滅亡のとき元がもち帰った、宋代に編集された国史をもとにして編集したため、わずか三年で完成した。その際、かなり史実を削ったところがあるともいわれるが、宋代の歴史を知るうえで基本的な史料書であることには変わりがない。

 古い体制に縛られるのではなく、自ら新たな活路を見出したという点は歴史に名を残した人々に共通して見られることだといえます。「挑戦」とは、日常的にも良く使うことばですが、何事にも問題意識を持ち、果敢に進むべき道を見出して行くということはいつの時代でも変わらず、大切なことだということの証明なのかもしれません。
 

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2006年01月25日

悪木盗泉

●19.悪木盗泉(あくぼくとうせん)

【意味】どんなに困っていても不正なことをしないことのたとえ。「悪木」とは、質の悪い木のことで、「盗泉」とは、中国山東省泗水(しすい)県に実際にある泉。孔子がその名が悪いので水を飲まなかったということから転じて不義の意に用いる。

【出典】陸機「猛虎行」
「渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰」(渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれども悪木の陰に息<いこ>わず)のどが渇いても盗泉という名のついた川の水は飲まず、暑くとも悪い木のかげには休まないという意から。

※類義語
 李下瓜田(りかかでん)

※参考
陸機(261〜303)
 中国、西晋の詩人。字は士衡で呉(江蘇省蘇州市)の名族の出身。呉の滅亡後、弟の陸雲と共に洛陽へ出、やがて才を認められた。修辞に意を用いた華麗な詩風で、六朝修辞主義の路を開いたとされる。文学論を述べた『文賦』は有名。著書に『陸士衡集』十巻がある。陸雲とともに二陸と並び称された。

 実際に窮地に陥ったときに正を貫き通せるかというのは、案外容易いものではありません。そのため、不正というものはいつの時代にも起こってしまうのでしょう。現在粉飾決算が問題になっていますが、表に見える姿と裏に現れる倫理との相克について深く考えさせられました。
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悪人正機

●18.悪人正機(あくにんしょうき)

【意味】阿弥陀仏の本願は悪人を救うことが目的であり、悪人こそ往生するにふさわしい機根であるという説。「正機」とは、救いを受ける条件を正しく持っていること。

【出典】『歎異抄』(第三章)
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(善行を積み、自力で極楽往生を目指そうとする善人よりも罪深く愚かな悪人のほうが阿弥陀仏の力で真っ先に救われるという意味。)

※参考
 「悪人正機説」とは、善人は自力で善行を積み、極楽往生を目指そうと考えるため、ひたすらに他力にたのむ心が欠けているが、悪人は仏の慈悲にすがる気持が強いので、救われるという意味である。

 悪人こそが救われるという逆説的な表現ですが、文字通りの悪人を対象としていうるのではなく、あくまでも自分が悪人だと認め、反省している人を指しています。
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2006年01月24日

我を非として当う者は吾が師なり

○4.我を非として当う(むかう)者は吾が師なり

【意味】自分の欠点を批判しながら付き合ってくれる人は、すべて先生と思わなければならないということ。「当う」とは、「しっかりと相手に向かうこと」を指す。

【出典】『荀子』脩身篇
「非我而當者吾師也」
 この後に「是我而当者吾友也。諂諛我者吾賊也。」(我を是として当る者は吾が友なり。我に諂諛<てんゆ>する者は吾が賊なり。)ということばが続く。

※参考
修身
 自分の行いを正し、身をおさめととのえること。孔子以下、儒家の基本的思想を的確に表した「修身斉家(せいか)治国平天下(へいてんか)」(『大学』)にもこのことばが現れている。

 世の中、生きて行く中で多くの人に会いますが、最終的に行動するのは自分以外にはないです。それだからこそしっかりと批判してくれる人が求められるのでしょう。自分のために意見してくれる人を大切にして、こちらもそのことばを受け入れる度量の広さが求められているのかもしれません。
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和を以て貴しとなす

○3.和を以て貴し(とうとし/たっとし)となす

【意味】人々がお互いに仲良くやって行くことが最も大切なことである。何事も調和が大事であるということ。

【出典】聖徳太子の定めた十七条憲法の第一条に
「一曰。以和為貴。無忤為宗。」(一に曰はく、和を以て貴しと為し、忤(さから)ふこと無きを宗と為す。)とある。

※参考
 『礼記』には、「礼は之和を用(も)つて貴しと為す」とある。

 このことばはことわざや慣用句というよりも格言的なものですが、十七条憲法が604年に制定されて以来、今に至るまでしばしば引き合いに出されてやまないことばでもあり、すでに長寿ともいえることばです。十七条憲法は役人の心構えを説いたものですが、「功過を明察(あきらか)にし、賞罰を必ず当てよ。」(第十一条)や、「大事を独り断(さだ)むべからず。必ず衆と与(とも)に宜しく論(あげつら)ふべし。」(第十七条)など、今みても示唆的なことばで溢れています。
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2006年01月20日

悪戦苦闘

●17.悪戦苦闘(あくせんくとう)

【意味】強敵に対して必死にたたかうこと。そこから転じて、困難にうちかつために懸命に努力することという意味が生じた。

※類義語
千辛万苦(せんしんばんく)

 現在では、後者の意味で使われることが多いです。悪戦苦闘というのは、精神的に苦しいもので、進んでそうしたいものではないですが、人間なにかをするときは必ず努力する必要があります。その意味では、「悪戦苦闘」ということばは生きるうえで積極的に捉えなければならないと思います。
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悪事千里

●16.悪事千里(あくじせんり)

【意味】悪いことは評判になりやすいというたとえ。悪い行為はすぐに世に知れ渡るということ。これは、下記の出典より、「好事門を出でず悪事千里を行く」ともいう。これは、「良いことの評判は長く続かないが、悪いことの評判はすぐに広まる」ということである。簡単に「悪事千里を行く」、「悪事千里を走る」としても使われる。

【出典】北夢瑣言(ほくむさげん)
「好事不出門、悪事行千里」

※参考
 英語で似たような表現に、Ten good turns lie dead and one ill deed report abroad does spread.(十の善行は忘れられ、一の悪行は世に知れ渡る)がある。

北夢瑣言
 北宋の孫光憲が著した唐末〜後晋の著名人の逸話集。内容に統一性はないが、当時の士大夫階級の実際が示されている。孫光憲(〜968)は滅唐後は荊南の高季興に従い、のち北宋の太祖に仕えた。

 「悪事千里を走る」として使われることが多いですが、原典は「悪事千里を行く」となっています。熟語の中でも非常によく知られた表現です。
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2006年01月19日

悪逆無道

●15.悪逆無道(あくぎゃくむどう)

【意味】人としての道に外れた悪い行いのこと。「悪逆」は道にさからったひどい悪事で、「無道」は道理にそむくことであり、ともに同じような意味を表すが、構成としては、「悪逆」を強めた語と解釈される。

※「無道」は、「ぶどう」「ぶとう」と読むこともある。

※類義語
悪逆非道、極悪非道、大逆無道

※参考
「悪逆」は古代では、君父などを殺そうと謀る罪を指し、八虐の一つを構成した。
「無道」は、細かく分けると、「天下に道徳が行われていないこと」という意味もある。『論語』に、「天下無道、則礼楽征伐自諸侯出」(天下道無ければ、則ち礼楽征伐諸侯より出づ)という例がある。また、上記にあげた意味での「無道」も『論語』に「如殺無道、以就有道、何如」(如し無道を殺して、以つて有道をなさば、何如)として使われている。
「悪逆非道」としては、『平家物語』に「入道相国の体を見るに悪逆非道にして」という表現がみられる。

 「悪逆無道」という語をよく見ると、とてつもなく悪い意味合いを表していることに気づきます。「道」を使った表現も多いですが、人としての「道」は案外簡単に定義できそうで、実は難しい。人類共通の尺度というものを設定するのは困難ということでしょう。千差万別だということこそ生きている証なのですから。
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2006年01月18日

悪因悪果

●14.悪因悪果(あくいんあっか)

【意味】悪いことをすれば、必ず悪い報いがあるということ。「因果応報」の考え方のうち悪い原因と結果が結びついたもの。「因果」とは「前に行った善悪の行為が、それに相当する果報を招く」ということであり、仏教の中心的な概念である。

※対義語
善因善果

※参考
 仏教には輪廻という思想があるが、因果の鎖を断ち切り、いかに悪因悪果を善因善果に変えるかが、古来より重要だった。ちなみに司馬遼太郎の『国盗り物語』の中に「悪因悪果をひるがえして善因善果にする者こそ、真に勇気、知力ある英雄」という一節がある。

 「悪行はいつかその反動が来る」というようなことは、よくいいますが、現代になっても少しも錆びれていません。道徳的な格言ともいえることばです。
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悪衣悪食

●13.悪衣悪食(あくいあくしょく)

【意味】質素で粗末な衣服や食物のこと。「あくいあくじき」とも読む。「悪食」には、「普通には食用としないようなものを食べること」の意味もある。

【出典】孔子『論語』(里仁<りじん>)
「士志於道、而恥悪衣悪食者、未足與議也」(士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与<とも>に議<はか>るに足らず)から。「自らの衣服や食物にこだわる者は、一緒に仕事をするのには及ばない」という意味。あることに熱中していれば、自分の外観にこだわる余裕はないはずであり、体裁を取り繕うとする人は、実際にはまだそのことに真剣に取り組んでいるとはいえない、という意味合いが言外に含まれている。

※類義語
粗衣粗食、節衣節食(せついせつしょく)、粗衣糲食(そいれいしょく)

 これと対照的なことばに、「暖衣飽食」があります。「暖かい衣服を着て、ぜいたくな食事をすること。満ち足りて何不自由なく生活すること」という意味ですが、どちらかというと悪衣悪食よりこちらのことばのほうが批判的に使われることが多いようです。士道の概念で知られる山鹿素行も「悪衣悪食を払じ、居の安きを求むるは志士にあらず」(『武教小学』)と述べ、暖衣飽食を戒めています。現代日本はむしろ飽食が問題になっていますが、「食」のあり方に関しても今一度見直さなければならないのかもしれません。

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2006年01月17日

青息吐息

●12.青息吐息(あおいきといき)

【意味】非常に苦しんでいるときに発するため息。また、そのため息の出るような状態も指す。「青息」は苦痛に耐えられないときの息で、「吐息」はため息の意味。

※参考
 浄瑠璃の菅原伝授手習鑑に「物をもえ言はず青息吐息、五色の息を一時に」との一節がある。ちなみに菅原伝授手習鑑とは、並木宗輔らが合作した時代物で、1746(延享3)年に初演された。菅原道真の筑紫への配流、旧臣武部源蔵と白太夫の三つ子の兄弟梅王・松王・桜丸夫妻が道真の世継である菅秀才を擁護する苦衷を脚色したものとなっている。また、この三つ子の由来は、道真が詠んだといわれる「梅は飛び桜は散るる世の中に何とて松のつれなかるらん」の和歌からとったものである。道真は政治家としてだけでなく、歌人としても漢詩の創作にも優れていた。

 とても有名な四字熟語で、現代でも普通に使われる表現といえます。「青息」など、「息」という実体のないものに色をつけて気分を表すのが面白いと思います。
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愛楊葉児

●11.愛楊葉児(あいようように)

 物事の真理をより深く探求しようとしないこと。「楊」はやなぎ(かわやなぎ、ねこやなぎなど)の意で、「楊葉」はその葉を表す。熟語の構成としては、「愛」+「楊葉」+「児」であり、楊葉を愛する幼児の意である。幼児が落ち葉の季節に黄色く色づいたやなぎの葉を見て、黄金と思い込んで大切にするということから。

※もともとは仏教に関連した表現で、浅い教えで満足してしまうのを戒めるときに使われる。

 楊の類義語に柳がありますが、楊はやなぎでも、枝が垂れず、上にあがるのに対し、柳は、枝が垂れて風に流れるという違いがあります。やなぎと黄金を掛けたのも注目されますが、やなぎを表すのに、単に「柳」ではなく、「楊」という字をあてたのもまた興味深いです。
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椀作りの欠け椀

○2.椀作りの欠け椀

【意味】他人のためにばかり気を使う一方で、自分のことはいい加減になることのたとえ。椀を作る職人が、自分は欠けた椀を使っているという意から。

※類義語
紺屋の白袴、髪結いの乱れ髪、医者の不養生

※参考
 今日は、椀についての二つの諺を紹介したので、椀について簡単に書きたいと思います。
 基本的に椀は木製のものを指し、陶磁器製のものは石偏の碗を用いて使い分けている。日本では、古代から木の椀を使用していて、土器の茶碗はその後中国や朝鮮を経て日本に伝来したという。ちなみに茶碗という言葉は中国の忠茶に由来しており、喫茶の風習が始まったのは天平時代からである。

 人と関わっていく上で、どうしても自分のことを棚に上げてしまうということはよくありますね。似たようなことわざも比較的多くありますが、うまく表現したことばだと思います。

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椀より正味

今日から、慣用句・ことわざも紹介していきます。

○1.椀より正味(しょうみ)

【意味】器よりも中身が大事であること。外観がどうであれ、内容が重要であり、内容で物を評価すべきであるということ。「正味」は、ここでは「余分なものを取り除いた、物の本当の中身」という意味を指す。

※正味を「せいみ」と読むと、 「食物で、そのものが持っている本来の味」という別の意味を表してしまう。

 「人間、外観より中身が重要」であるというのは、よくいわれる議論ですね。たしかに今は、『人は見た目が9割』という本も話題になっていますが・・・。やっぱり見た目も捨てがたいのが世の常か・・・。
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2006年01月16日

哀鳴啾啾

●10.哀鳴啾啾(あいめいしゅうしゅう)

【意味】鳥や虫が悲しげに鳴くさま。「哀鳴」は、鳥や虫などの悲しげな鳴き声を表し、「啾啾」は、鳥や虫などが小声に鳴くさまを表す。また、「啾啾」そのものの意味としては、鳥や虫に限らず、しくしくと力泣く泣く時の形容としても使われる。例として「鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう※)」にみられるが、これは後者の意味で使われている。

※参考
哀鳴
 白居易の『琵琶行』に「杜鵑啼血猿哀鳴」と「哀鳴」ということばが使われている。「ホトトギスは啼いて血を吐き、猿は哀しげに鳴いている」という意味である。また、「哀鳴」を使った他の四字熟語として、「鴻雁哀鳴(こうがんあいめい)」が知られている。

鬼哭啾啾
 戦場などの鬼気迫ったさまを表す。

 なにか叙情的な表現で、情景が目に浮かぶようです。哀鳴にしても啾啾にしても字をみているだけで、どことなくかなしげな印象を伝わってきて、漢字ってやっぱりものをいうものだと思いました。



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2006年01月15日

曖昧模糊

●9.曖昧模糊(あいまいもこ)

【意味】物事がぼんやりしていて、はっきりしないさま。「曖昧」も「模糊」も、ぼんやりしているさまを表す。

※「模糊」は「糢糊」と書くこともある。

※類義語
朦朧模糊

※対義語
明々白々

 これは、いまでも日常的(?)に使う表現ですね。「曖昧模糊とした話」など。ちなみに「曖昧」の類義語として「ファジー」という用語もありますが、これは「綿毛状の、輪郭がぼやけた」の意から来ているようです。よって「境界が不明確である」といった意味合いに力点が置かれているという点で若干違うといえそうです。
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愛別離苦

●8.愛別離苦(あいべつりく)

【意味】別れのつらさをいう。親子・兄弟・夫婦など愛する人と性別・死別する悲しみ。構成は「愛別離」+「苦」であり、仏教で説く、生きるものの八つの苦しみ(八苦)の中の一つを構成する。

【出典】『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』

※参考
大般涅槃経
 大きく分けて、原始仏典と大乗仏典の2つのものを指す。
@原始仏典の一。3巻。法顕が訳す。釈尊入滅の前後を歴史的に描いたもの。対応するものがパーリ語長部経典にあり、また、漢訳には「長阿含経」所収の「遊行(ゆぎょう)経」などの異訳がある。
A大乗仏典の一。北本(曇無讖<どんむしん>訳、40巻)と南本(慧観・謝霊運ら再治、36巻)に分かれる。釈尊の入滅を機縁として、法身の常住と一切衆生の成仏を説いたもの。これを最もよく表す言葉である「一切衆生悉有仏性」はよく知られている。涅槃経。

八苦
生・老・病・死(四苦)に愛別離苦・怨憎会苦(うらみ憎しむ者と会う苦しみ)・求不得苦(欲しいものが得られない苦しみ)・五陰盛苦(心身の苦しみ)の四つを加えたもの。

 とてもよく知られた表現です。この表現に限らず、四字熟語には仏教に関連した表現がかなりみられますが、人生の喜びや悲哀がもつ余韻をうまく表しているものが多いと思います。仏教の無常観が反映されているからでしょうか。

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愛多憎生

●7.愛多憎生(あいたぞうせい)

【意味】愛や恩恵を受けすぎると、必ず人のねたみや憎しみを買うことになるということ。

【出典】『亢倉子』(用道<ようどう>篇)
「恩甚だしければ則ち怨生じ、愛多ければ則ち憎しみ生ず〔過度の恩愛は人の憎しみを買うもとになる]」とある。

※「愛多ければ憎しみ生ず」と書き下して読むこともある。

 この表現は、四字熟語ではありますが、格言に近いともいえます。いわゆる「出る杭は打たれる」的な表現に当たります。『亢倉子』は老荘思想の道家の系譜に連なる書物のようですが、このような表現はいつの時代にも共通してみられる価値観なのかもしれません。
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2006年01月14日

哀糸豪竹

●6.哀糸豪竹(あいしごうちく)

【意味】悲しげな音を出す琴と、生き生きとした強い音を出す笛を指す。管弦の音色が悲壮で人の心を打つさま。「糸」は糸を張った楽器のことで、この場合は琴の意味である。「竹」は竹で作った吹いて鳴らす楽器で、笛のこと。

【出典】杜甫の詩

※「糸」の旧字体は「絲」であるため、「哀絲豪竹」も同様。「哀絲」という表現は、その後の中国の詩や文学にも現れている。例えば現代中国文学を代表する作家の茅盾の詩「觀北崑劇院初演」に「哀絲豪竹煩英傑」(哀絲豪竹英傑を頌える)の一文がある。

※参考
糸竹
 このことばは、横井也有の『鶉衣』の「隅田川涼賦(すみだがはすずみのふ)」にも使われている。

杜甫
〈人名〉712〜70 盛唐の詩人。襄陽(じょうよう、湖北省襄樊<じょうはん>市)の人。字は子美(しび)。杜陵(とりょう、長安郊外)にいたので杜陵布衣(とりょうのふい)・少陵野老(しょうりょうのやろう)と自称した。検校工部員外郎になったことから、杜工部ともいう。賦三編を奉って玄宗に知られ、集賢院待制となったが、安禄山の乱にあい、四川などに流浪を続けた。その詩は格律厳正、律詩の完成者とされる。社会を鋭く見つめた叙事詩に長じ、「詩史」の称がある。李白とともに李杜と並び称される中国最大の詩人で、李白を詩仙というのに対して詩聖といわれる。また、晩唐の杜牧と区別して大杜、あるいは老杜といわれる。安史の乱以後の暗い現実を描写した作品に傑作が多い。代表的著作に『杜工部集』がある。日本文学への影響は漢詩以外のジャンルにも大きく、特に松尾芭蕉は杜甫に傾倒していたことでも知られる。

 「哀」と「豪」。まったく対照的な漢字にそれぞれ「糸(琴)」と「竹(笛)」をあてているのが面白いと思います。琴と笛のイメージの違いでしょうか。

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